覚者慈音1628 未知日記 第九巻 因果論 人身篇 第四巻 厳戒の辞の説明  インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1627
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇     厳戒の辞の説明
第六十      自我魂へ通ずる道とは如何   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・27


 其はとにかく人数はわづかに一より千にて終る短き間なれば、早く人界を度脱して万億の方向に向はしめざれば、心魂霊の開拓はなし難し。開拓して道を作るにあらざれば、通力は得られざることも亦理なるべし。
 八大門にて見聞したる如く一線々々わたる毎に、すべては変化なし居る様を見たるならん。一段々々上る毎に、その様は異なり行くは天の自然なるべし。一歩進まば其だけ広くなり、其凡てが異なり行くは是進歩より進歩へとはてしなく道は開らかれあるが故なり。進めば進む程広くなりて尽るところを知らず。故に人は修養修行して如何に進むとも道は絶えざるなり。然して尽きる処なきが故に、是にて終りと云ふ処もあらざるは勿論なれば、其力の程度も従って強くなり行くも是又理なるべし。如何に修養修行すとも是にてよしと云ふ処はあらざるなり。故に思ふがままに力あらん限りを尽して進むべし。

 道は遠きにあらず。又近きにあらず。遠近の区別なければ一度拝まば一度進むが故に、拝みは如何に尊きかを知るべし。厳戒の辞を一度称へればそれだけ歩みは進み居るなり。チと云わばチだけ進み、シュと云わばシュだけ進み、キュと言はば又それだけ、
わずか八文字の音に対してその一字の持つ力の大なることは、称へ居る汝等には亳も感ぜざる如く思はるれど、是がその一勺によりて進む力の大なることは我等はよく知る。されど世人には如何ほど進みたるかは感ずる事あらざるべし。
例へば一個の原子爆弾が投下されて、その力にて何万と云ふ人命、或いは器物等破壊せられたるを見て、世人はふるへ戦き居るにてはあらざるか。この厳戒の辞に於ても同様のしるしは爆弾以上のはたらきをなし居ることにひきくらべて考ふれば、我等に云はしむればその一勺が原子爆弾の比にあらざることを知るによって、かくは語り教ゆるものなり。世人はかばかりのこと何かあらんと思ひおれど、そのかばかりの事がつもりつもらば大なる障碍ともなり、又大なる効果ともなり居ることには気附かざるや。我先に語りし滴水の法の如く、一滴一滴の水がつもりつもりて大なる瓶を満たす理より、又水源のしたたりが大河に注がるる如く、つもれば大なることも推して知ることを得るならん。よって断間なく法を行ひ、拝みをなして、日々の業務を怠らずば、やがては心魂一体の大なる海と化せらるるは、是又道理なるべし。

×

非ログインユーザーとして返信する