覚者慈音1626   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1626
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第六十      自我魂へ通ずる道とは如何   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・27


 己の魂を己によりて磨くあたはざれば、他の智慧に依って磨かざるべからず。磨き上ぐれば何かの法を択ぶともあたはざることなし。無智のものも亦智慧あるものも同様に、往生は得らるる理もここに存す。是即ち道なり。要は自我心を魂に通ぜしむるを目的とするなり。何時も語り居る愚者と云はるる泰岳が、万人の及ばざる智慧を有してすべてのものを救い居ることに対しても明らかなる如く、泰岳は何も知らず、唯拝みを続け居るによって、知らざることも知り得たると同様のはたらきをなし居るなり。彼は言葉なき世界の人に属す。語らずして人を導く。我等は語りても人を導く力なし。是泰岳に及ばざりし故なり。しかのみならず言葉なくとも人を救ふ力あるものは、彼にのみ有するにあらず。人一度往生して霊に化せばかくも偉大なる力を具へ居ることを知らざるべらず。易学秘伝書に曰く、「一より千に至る数は、是人数にして、万に変ずれば人界を離れたるなり。万より億に至らば、更に一段進みたる階となり、億より兆に至り、更に兆より京と上るところは、千極迄進むことを得」とあり。又、下方に向はば人数一より分厘毛次第に低下する数を有し居るにて、是等は下方に十二の数を有せど、この数には一より千迄の人数は加はりあらず」とあるなり。この数が人数千より変化して、万の階に進みてのちは、万、十万、百万千万と云ふ如く人数の加はりあれど、分厘に至ってはこの数は有せざるなり。故に正しき計算をなすには、万より数へて千極に迄進むるは、四十八桁の数を有せど、分より下方には唯十二桁の数を算ふるにすぎず。然して四十八桁の数と、分厘の十二桁を算へて是を合すれば、六十桁となる。その六十桁の数に、人数の四桁を加ふれば、即ち六十四桁(六十四卦)は得らる。故に易の法によって空の計算は容易になし得るなりと説かれあるなり。斯る計算法は日本には未だ伝はりあらざれば誰も知る人なからん。この計算法より案出せられたる算盤が支那より日本に渡りたるにてはあらざるか。即ち算盤の下段五個は算木の初爻より五爻に到る迄を意味し、上方の五球は即ち算木の上爻にかたちづくりたるものなり。然して是によってすべてを計算することを得せしめたるが故に、算木の用は必要とせざるに至りたるなり。然るに日本には未だこの算木の使い方を知らずして、唯売卜に用い居るは笑止千万、斯る玩弄物にて空しき行ひをなしたりとて、焉んぞ天理を究むることを得んや。あたらざるは当然なり。あたるは却て不思議なるべし。斯るものにて人界の大義を明らめんこと思ひもよらず。余事はとにかく易学は人道に対して、其道を得せしむるには必要なることは、我、是を学びて是を用いて体得したる故に、正しきことは保証なしをくものなり。

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