覚者慈音1622   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1622
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十九      接続根と魂との関係   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・26


 前巻より此書に至る迄見聞しながら更にこの重大なる意味を、未だ悟り得ざるにてはあらざるか。まして初心者に心魂一体の法を軽く教ゆれば、殊更誤ちたる行ひをするは必然なるべし。故に徒らに語ることを避けよと誡めたるなり。己に出でて己にかへる。是心魂の一体を現はしたるにて心も我なり。魂も我なり。他のものにあらざる道理をよくよく認識せば、従って法の大切なること、又信仰の重大なることも思ひ至るならん。肉体を有するが故に、自我心は尊し。自我心を有するが故に、自我魂は尊し。自我魂を有するが故に、霊は尊し。霊あるが故に、神は尊し。然らば法とは如何なるものか。信仰とは如何なるものかも従って悟るところはあらざるかと思ふなり。
 法とはむづかしきものにあらず。恰も水の流るるが如し。自然に順じて用ゆれば法は通ず。信仰又然り。自然に逆行すれば信仰も法も通ずるものにあらず。強いて是を通ぜしめんとせば、何か特殊の技工を加へざれば通ずるものにあらず。技工を加へたる信仰も方法は従って無理を生ずが故に技工のわざ破壊せらるれば忽ち静止す。されど自然に従ひて通ぜしめたる信仰と方法は、決して破壊せらるるものにあらざることは世人もよく知る処ならん。理に合はざることに対してその理をまげて用ゆればたとえ通じたりとてその力は弱はし。自我心を自我魂に同化せしめて、始めて自我心の任務は全うせられたることに心附かば、信仰の通力は得らるる筈なり。自我心を自我魂に運ぶには、水の流るる如き関係あることに対して考へを廻らさざるべからず。肉体にのみ囚はれて、自我心を是に同化し居りては自我魂への通路は開らかれざるべし。故に自我心の水はふちとなりて肉体の汚れは深くなり、遂には其水の腐敗するに至るは是又理なるべし。自我心を濁らせては、自我魂に交はらせんとはかるとも、決して清浄無垢とはならざるべし。斯くなりては即身成仏は得られず。所謂畜生道に墜ちるの他なかるべし。世人はここに深く思ひを致して、魂に通ずる道を開らき、即身成仏の通力を得る法を考案工夫し見るべし。

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