覚者慈音1619   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1619
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十九      接続根と魂との関係   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・25


 自我心を月と見なさば、肉体は地球の関係となり、魂は太陽の関係となる。ここに自我心と肉体、肉体と魂更に魂と自我心の関係は、離れ難き縁を有す。故にこの三つのものの規律ただしくはたらかずば、一方的に化せられて完全なるさとりは得られざる道理より、修養修行の道を工夫せざるべからず。この三つの関係は何によって保持され居るかを知るにあらざれば、すべてはいたづらごととなるなり。地球も月も太陽もこの悉くは何に依って規律正しく廻転なし居るや。謂はずもがな空なるべし。然らば空はなによって具備あるやを考へざるべからず。即ち空とは世人の肉体にとりて、霊と云ふものの具備あることを既に承知なし居るならん。心意に相当する自我心が肉体と共に亡びなば、魂は如何に化せらるるかを明らめずば、正しきさとりは得られざるべし。心意の自我心が肉体によつて世の中に種々様々の行ひをなして、其が善悪に不拘残しをかば、心意肉体亡ぶとも其行跡は伝はり残りて消滅せざるべし。是は我等くだくだしく述べずとも世人にはすべて承知のことならん。釈迦は仏の教へを残し、イエスは神の教へを残して未だその行跡は持続なし居るによって、世人は道に帰依して今も尚歩みを続け居るにては有らざるか。是は善行か或は悪行かは知る由もなからん。よしと思ふものはよしと感じ、悪しと思ふものは悪しと考ふれど、事実は残存して今尚持続なし居る点より考ふれば、身心亡ぶとも行跡は残存す。行跡は如何なる意味にて持続するやに考慮を廻らさずば、霊魂の行衛は明らかとはならざる理を、此事柄より推し計ることに迄歩みを進めよと語りをくこととせん。
 先にも語りし如く釈迦キリストの出現は大源に返せば、即ち霊子より組織せられたる事は既に語りし如くなり。今我の語りしは即ち結果を説きたるにて、所謂大源の因より大極の果に至る迄の順序が、文獻或は他のすべての方法にて今日迄残存なし居ることを語りしなり。恰も梅の種子は梅の実を残せしと同様の関係と知らば可ならん。彼等は無始終霊子の大源より現はれて、その経路を正しく歩みて、軈て天界に至るべき順路を見定めて、その方法は世人に残しをきたる迄なり。

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