覚者慈音1614   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1614
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十八      通力と魂との関係   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・24


 例へば果実の種類が数限りなくあれど是を大地に下さずばすべてのものは実を結ばざるべし。如何に種類多くとも大地なくんば実を結ぶものにあらず。大地は一なるべし。是即ち大自然の道理なりと知らば、人根より変化して更に進みたるものを作り、又其進みたるものより次第次第に変化して、神に至る迄の実を結ばすることも、是自然の道理に合へばなし得らるる道理は、推して知ることを得るならん。人は人にて終り、其にて進化せざるものならば、自然の姿は余りにせまし。人は仏に、仏は神にと云へる如き順序は、自然に依てのみなし遂げらるるものにて、人を人にて終らしむるはこれ自然にあらず。所謂自然の一部を応用したるのみにて大自然の懐中に抱かれたりとは云ひ難し。故に人は仏に、仏は神にと云ふ順序を追ふて進化せしむるは、是自然の懐中に抱かるると知りて修養せざるべからず。近代の如く我等は人間なるによって、動物性にて終らば其にてよしと云ふ如き愚説を弄する輩も多し。是自然をはきがへたる故なり。進化せしむる道をそなへあるは大自然の姿なり。この大自然に従ひて進むことによって仏ともなり、又は神ともなる道は開らかれあるなり。人は動物性なるが故に、動物にて終る如き不自由なる自然ならば、世は進歩発達はせざるべし。自然に反抗すれば斯くの如くなる結果となりて、永久発展はすることあたはず、無為にして終らん。世人にはこの道理は解し難かるべし。其は智慧の至らざる故なり。所謂人間に架せられたる使命の何なるかを知らざるが故なり。我等人間には人間の道ありと説きたるはここなり。人間は人間としての大自然の道を歩むことによって始めて人間の本分を全うすることを得れど、人間として動物の道を歩まば、即ち自然を曲げて横道に入りたると同様の歩調を進むる結果となりて、動物に顛落す。是自然を逆行したる故なり。我等の語る処は人間は人間としての道を歩み、其結果を得て更に仏の道、神の道を進むべき大自然の法則を歩ましめんと計り居るなり。我、人とか仏とか神とか云ふ言葉を用い居れど、是は言葉によって便宜上称へ居るにて、人のすぐれたるを仏と云ひ、又仏のすぐれたるを神と云ふのみにて宗教くさきと考ふること勿れ。唯人の一段すぐれたるもの。更に其よりすぐれたるものと云ふ意味の言葉にすぎざる故に注意なしをくなり。我、先に接続根なる自我心と云ふことに対して聊か語りをきたり。此事に対して世人は誤解なし居ることすくなからざるにより、通力に関して是が論旨を明らかになしをかずば、世人の迷ひは晴るることなからんと思ふが故に、更に是に対して魂(たましい)との関係に及びて説明なさん。

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