覚者慈音1607   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1607
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十八      通力と魂との関係   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・23


 故に人生のそなはりある間に来世をよくよく認識して進むに不如と教ゆるものなり。通力を得ば自づと天地に関して眼は明らかにむけられ、その眼識が正しく通じてすべてを明らかに照す力とならんことは是又当然なるべし。言葉にてはかく語ることはなし得れど実行は伴はざるべし。言ふことは易く行ふことは難しと世人は思ふならん。されど我等に言はしむるならば云ふことを得るは、何かそこに根拠ありての事ならでは言葉には出づるものにあらず。言葉に出づる底のものならば行ひてなし得ざることあらんや。行ひてならざるは根拠を知らざるが故なり。根拠ありて言葉に現はるる以上、なしてならざる事あらんやとは聊かこじつけの感あれど、深く根を洗へば必ずなし得らるると、我等は思ふが世人は如何に考ふるや。こじつけと思ふならば其にてもよし。又何か其に対して根拠を発見して、其によって道を得んと考ゆるならば其にても可ならん。何れにもあれなしてならざる事なしと我等は思ふなり。口に語りてならざるは理に合はざるが故なり。我等は理に合はざる事を口にするものにあらず。是は断言し置きて憚らざる故なり。空しきことを語りて徒らに紙面を汚すことは我は慎みてなし居らざるなり。虚空に種子を蒔きて樹木をつくり、花を開らかせ実を結ばせよと云ふが如きことをなせよと語るとも、かかる事には耳をかすもの一人としてあらざるべし。されど空間に空(くう)の種子を蒔き、空の木をつくり、空の花を開らかせ、空の実を結ばせよと語るならば、是には何かの根拠なかるべからず。根拠あるが故に心ある人は耳をかすやも計られざるべし。さりながら天界に於ては、空間に樹木をつくり、空間に花を開らかせ、実を結ばせ居る世界もあることを、我等世人に語るならば世人は是を一笑に附するならん。されど事実は事実なり。世人は唯己が住み居る処にのみ囚れて、他に異なりたる処あるを知らざるが故に唯笑ひて信ぜざる迄なり。百聞は一見に不如と云ふはここなり。もし世人を此界に導き指し示めすならば唯不思議の眼を以て見るならん。宇宙の姿は余りに広く余りに深かし。井中の蛙大海を知らずの譬喩なるが故なり。

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