覚者慈音1605   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1605
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十七      天眼通と地眼通   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・23


 すべて相対性の世界には空間距離を有するが故に此考へを起すは未だ行の至らざる故なり。早くさとりて先づ居を位置を考へざる底に達せずば、我教へを解することは至難ならん。我今欣情慈音にあり。是居,位置の定めあらざるが故に自由に往来することを得るなり。往来と云へば又距離を考ふるならん。我等の往来とは現滅を云ふなり。座して居ながら語らんすれば語り、又黙せんとせば黙すの意味を知らば、往来の意味は解することを得んと思ふが如何 !  例へば慈音が我に語れよと云へば語り、黙せよと云へば黙す。即ち往来と云ふはこの意味にて、天界に到り下界に来る如き汝等の考への往来とは異なるなり。さればこそ我は汝等を離れじ。常に汝等と共にありと教へ居るなり。是等の迷ひを起すについては無理ならぬ理由あるなり。人間死すれば魂はぬけ出でて空間を上昇すると云る事柄よりかかる考へを起すならん。世に云ふ宙をぶらつく人魂(ひとだま)なるものを思ふが故なり。かかるものを見て世人はその人魂が虚空を飛び廻はり次第に上昇する事を考慮なし居るによって正しきさとりは得られざるなり。即ちその人魂なるものは霊にあらず。又汝にもあらざるなり。所謂肉体より出現したる有機物と無機物の化合したるものが空間に飽和され空気中の化合物と和して、一種の光を現はして飛散し居るにすぎず。是には聊か霊のはたらきは存すと雖も、軈ては分散して影を止めざるに到る迄にて、是等のものを魂(たましい)と思ひあやまるが故に、世人は誤解する点多し。前巻にて説きたる事柄より、此魂に対する誤解あらんと思ふが故に、是等の解決は追々語るべし。

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