覚者慈音1604   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1604
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十7      天眼通と地眼通   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・22


 地獄も極楽も今汝が座し居る処にあるなり。極楽に行かんとせば忽ち極楽に、地獄に墜ちんとせば直ちに地獄に自由自在に赴く処に汝は座し居るなり。宗教者はその身そのまま救はるると説きしも、此意味を語り伝へ居ると我等は承知す。然るに世人は居を変へざれば趣かれじと思ふが故に迷ふなり。誰かの句に「我、死なば他処へは行かぬここに居る、訪ねてくれなものは言はぬぞと云ふ道歌あり。「世人は此句を何と聞くや。又極楽は西にもあらず東にも、北にもあらずみんな身にあり」と云ふ句もあるなり。座して居て其居が即ち地獄極楽なりとの意味ならん。是を世人は誤解して、修養なし居るが故に、労して効なき結果となり居るなり。汝の座せし処は即ち天界なり。汝の姿が失せたらばそは居を変へたるに等しと先づ考へて、今一段工夫し見よ。我、斯く語らば世人は又新らしき疑ひを起すならん。前巻より説き来りたる浮住界とか、或は上流界とか云へることに対しての迷ひなるべし。然らば世人の考ふる如く、我等嘘偽はりを語り聞かせしと云ふ疑ひなるべし。今慈音は我に向ひて云ふやぅ、「我、慈音、貴尊方に誘はれて各界を見聞したる事はみな錯覚なりしか」との質問なり。我、是に答へて曰く、「汝は寝具を重ねて其裡にいねつつ、各界を見聞なしたるにてはあらざるか。居を変へしにてはあらざるべし。是にても尚疑ふや」と教へたり。慈音又曰く、「欣情の夫が眠り居る所は如何 !
  是、居かへしにてはあらざるか」と。我、答へて曰く、「欣情の夫は居をかへしにあらず。肉体を離れしのみなり。されど肉体を離れて自然の懐中に抱かれあるが故に、彼の姿は見えねど広き高き処に自由を得て唯眠り居るにすぎず。是は空間の余りに広大なるが故に、肉体を有する汝の心眼にはかく映り居るにすぎず。一部は錯覚を誘ひ、又一部は錯覚にあらざる事実なるが故にかくは映じ居るなり」かく語るも慈音は未だ合点なし難きと見え、迷ひを深くし居ることを我は知る。されど彼はその迷ひを如何にかして晴らさんと言葉を考へ居るなり。是何故かと云ふに慈音も位置を考ふるによってなり。位置を考ふるが故にかかる迷ひをなすなり。 

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