覚者慈音1603   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1603
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十7      天眼通と地眼通   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・22


 天地間の道理を明らめ得たる人は、即ち天眼地眼の通力を得たるなりと思はば其にてすべては解決す。天の理をきはめ地に従ひて道を歩まば、其にて人間のつとめは果されたるなり。言葉にて如何に誇大に吹聴すとも人智にては、到底宇宙の姿を見きはむることは難し。又空想によって如何に誇大に考ふるとも其も亦億分の一獏にもにもすぎざるなり。故に白紙にかへりて空想をなさざるやぅ注意するなり。眼を開らきて天の高きを知り、地の深きを知るとも其は何の益もあらざるなり。要は天地の道理を知りて是に従ふにあらざれば、正しき天眼地眼の通力は得られずと知りて、修養の力を増大し智慧を積みて高くせば、従って宇宙の大自然に同化せられて自づと眼は開らかるるなりと知らば可なり。座して居ながら天地の大自然に抱かれて始めて天地の広大無辺を知るにあらざれば、正しき天眼地眼の通力は得られざるが故なり。
 人骨に肉の衣を纏はせ、是に魂を入れて生存せしめたりと聞かば、学者は嗤ひ、宗教者は其を恐れ、愚人は迷ふ。そは世人の智慧の到らざる故なり。是を今一歩根に返して考へなばわづか一滴の胤子が化せられて、汝等の姿は現はれ生存なし居るにてはあらざるか。かかる不思議なる事柄には意を用いず、中途因果の法則より考へてこれを空想して、徒らに迷ひを深くするが如きは智者のなさざる処、一滴の胤子が汝等を造る不可思議より考ふれば、人骨に肉衣を纏はせ魂を入れたりとて何の不思議やある。世人は己の智慧の到らざることをよくよく反省せば、かかることに迷ひは抱かざる筈なり。所謂神の偉大さを知らしめんとて、人骨に肉衣を纏はせ魂を入れて生存せしめたりなど説きて、却て神の力を低くなしたる如きは、是人智の程度が如何に低きかを知るの他なかるべし。世人は天界に上がるとか、或は地界にくぐるとかを語らるる時、即ち居を変ゆると想像するが故に、其処に誤解を生ずるなり。座して居ながら天界へは上れじと思ふは、天地の広さを或は高さを、肉眼によって眺め居るが故に、己の座し居る処は他界なりとの思ひよりかかるあやまりたる解釈をなし居るならん。今汝の座し居る処は即ち天界にてはあらざるか、又地界にてはあらざるか。汝の座し居る処は即ち天界に座し居るなりと我は教ゆるなり、歌人は居ながら名所を知るに等し、居かへずとも宇宙の中に置れある以上、即ち汝の座せる処は即ち天界なりと悟らば、我の教へは諒解することを得ん。先づ此理をさとりて然して天地の全土にまなこを開らかば、大自然の広大無辺なることは自づと見きはむることを得るなり。是等の道理は追々語りて聞かせん。

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