父祖の足跡 1  父親の病気 教主寛大曰く、 我等に来らんとするもののみ是を信じよ。我等は決して諸子をあやまたしむることはなさざるなりと誓ふ者なり。我等は諸子を愛す。されど諸子は我を愛せざるが故に、一体化することは得ざるのみ。されば我等諸子を愛する如く、諸子も我を愛せよ。然して一体化することによってすべては解決するならん。汝等、我をたづね来たらば、我は面会謝絶するものにあらず。必ず会ふべし


 さて長編の因果論の転記は本日で終えた。つぎに何から手をつけたらいいかと考えあぐねていたら、次の言葉が先ず浮かんだ。「世人は唯望みのみ抱き居りて行はんとせざるによって何時迄も目的は達せず、考へにのみ囚はれ居て空しき光陰を空費なし居ることに心附かば、一旦目的をたてたる以上、なるとならざるは別として兎に角実行にうつすこそ肝要ならん」


 この言葉は私が毎日更新している未知日記の書の一節だ。是は因果論の著者であらせられるミキョウ貴尊の言葉だ。貴尊に背中を押される形で先ずは一筆認めてみることにする。
 今から八年前のこと、親父が亡くなる半年前、パジャマ姿で病床から起きてきて、いきなり私に云ふ。
「私のいまから云ふことをちょっとメモしてくれ」親父は自分の父親の名前、母親の名を私に告げ、この両親から生まれたことを訥々と話す。序で自分の生い立ちや両親のこと、当時の家族関係のことなどを話した。病床で寝て居る間も親父は自分の来し方を幾度も幾度も心の中で反芻していたに違いない。この頃は身体はかなり衰弱して、歩くのも危なかしい歩き方をしていた。自分の余命があと幾ばくも無いことを秘かに感じ取っていたのだろう。丁度その日はデイサービスに通っていた時だった。介護施設から突然電話がかかり、親父の様態がいつもと違う旨の連絡が入った。食堂で机に臥したまま寝込んでいるとのことだつた。その施設から病院へすぐに搬送され、そこで緊急の手当を受けた。脳梗塞だった。それから暫くのこと脳梗塞の後遺症もあって、食事の際の飲み込みが全くできなくなった。食事をすると誤嚥を起し激しく咽せかえった。勝山病院へ救急車で搬送されて急遽胃瘻の手術を行った。
 担当医は云った。「この手術をすると濃縮の営養ドリンク剤を一日三回、口を通さず直接胃に流し込むことになるが、食事の楽しみは完全に失われる。それでもいいかと私に強く念を押した。私はその医師に尋ねた。「これが先生の実の父親だったらどうしますか」と。
医師は云った「僕だったらそんな手術は受けさせないで静かに看取ってやるね。それが孝行というものだ」と。
それから半年ばかりで親父は息をひきとった。享年八十六歳。なんの苦しみもなく静かに眠るような往生だった。付き添っていた看護婦が医者にあわてて「先生、患者さん、息をしていないみたいよ」と囁く。医者はあわてて聴診器を胸にあてる。一方、私は自宅に戻り、これからの入院に必要なものを用意していた最中だった。臨終を見守ったのは医師と看護婦、それに母親だけだった。普通誰しも一度は断末魔の苦しみに喘ぎながら死を迎えるものだが、親父は安穏な死を迎えられた。自宅のベッドで胃瘻用のドリンクを補充していた時、親父は酒、酒と私に酒を催促した。私は脱脂綿に酒をひたして父親の口にそれを湿らせた。そしてさかづき一杯ほどの酒をドリンク剤に親の見ている前で混ぜた。親父は少し笑顔を洩らした。
親父は若い時から酒を毎晩二合五尺、しばらく家で寝てやがて近所の飲み屋に出かけることを日常としていた。時たま近くのスナックで僕と鉢合わせしたことも幾度かあった。若い頃には一升の酒を軽く飲んだ。僕が結納の日、相手方の多くの親族に次から次へと酒の攻勢があって便所の前で伸びてしまった。そこへ親父がやってきて、大きな声で「馬鹿者、すぐに起きよ」と一喝。ホウホウの呈でようやく起き上がり、嫁の部屋に案内されてそこで爆睡。それまで僕は酒を飲まなかった。
親父は日中は近隣のお寺を訪ね色々なお墓を見にいったものだった。帰ってくると僕にあのお寺の何某のお墓は実にいい、今度家の墓を建立するときはあれを参考にするとよい。「一度お前も見に行ってこい」とよく言っていたものだった。ある時檀家のお墓掃除に行った時、近くに古い無縁仏の墓があって、崩れた内部から骨片がいくつも雨で流出していた。親父はそれらを素手でかき集めて元のお墓の中に戻し、拝んでいたことがあった。きっとその無縁仏の主は親父に謝意を述べたに違いない。僕には到底真似のできないことを平然とやっている。それとお盆になる三日前には兄弟四人を引き連れてお墓掃除を行った。是は我家の恒例行事だ。父はお墓は古くて汚いがこの墓をこの寺で一番綺麗に清除することを皆に告げた。バケツを四個程用意して大きなたわしに粉洗剤をつけて五人が磨き上げるのだ。今は水道菅がお墓の近辺にあるけれど、昔は五六十メートル程離れた寺の庫裡内にあった。子供達は文句も言わず何度も往復して懸命に水を運んだ。こんな大掛かりの墓掃除は誰もしない。いや出来ない。父は一通りお墓掃除を終えると墓の中から骨壺を一つずつ取り出して、是は誰々、そして是は誰々と僕達に詳しく説明し始めた。父は子供達が骨に対して一種の嫌悪感を抱いているのを知っていた、依ってこの機会にその悪観念を払拭させようと考えていたのだ。そしてその墓の中の骨壺をすべて並べて全員で拝み、父が平生から諳んじている般若心経をもって、その日の墓掃除を終えた。今自分がこの世に存在するのは是等先祖の方々のお蔭で以て存在することを懇篤に僕達に伝えた。肉体遺伝子の連鎖だけではなく、魂の連鎖が脈々と継承していることを伝えた。
父は僕達によい教訓、魂の教育を言葉として残した。僕から見ても真に天晴れな男だ。
これから少しずつ親父とおふくろの人生を思い出しながら書き綴るつもりだ。今是を書いているパソコンの前に二人の遺影が並んでいる。それもきっと小さな供養になるかもしれない。深夜酒を飲みながら両親のありし日を偲ぶ・・・・・・


僕は10年ほど前に、未知日記全11巻の中から特に大事なところをピックアップして抄録のかたちで纏めたことがあった。上下2巻にまとめ、およそ400ペ-ジほどにもなった。それぞれを3部ずつ印刷して家族に渡し、朝の1時間代わる代わる声を出しあってそれを読み続けた。2年間ほど続いたろうか。
当時80数才の母親も俄然その時は元気だった。大きな声で淀みなく、朗々と読み上げた。今もその声は僕の耳朶に残る。
ある日パソコンの不具合でそれらのデ-タはすべて消えてしまった。幸いにも印刷物だけが手元に残った。
皆さん、余分なお節介かもしれませんが、人間の言葉だったらこんな生意気なことは申しません。これは神に準ずる天使のお言葉なのですからその価値は充分にあると思いますよ。


教主寛大の言葉をお聞きください。

「人間同士の恋は成立することもあり、成立せざることもあれど、神に対する恋は必ずや成功す。汝等諸子は神に恋しては如何、神に恋するは即ち信仰なり。人間同士の恋は片思ひと云ふことあれど、神への恋は片思ひはあらざるなり。必ず成功す。即ち思ひと思ひは空なるが故に、同化するなり。神の思ひは空なり。汝の思ひが空ならば忽ち同化す。
是は放心にも帰心にもあらず。汝の心さへ空とならば、神は常に空なるが故に、忽ち同化す。水の中に水を入るると同様なり。諸子は水の中に油を入るる故に、同化せざるなり。水と油を同化せしめんとせば、互いに分解せずば融和すること難し。是には努力を要す。もし汝の心が油にして神の心が水ならば、是を同化するには何かの方法を用いずばなし難からん。汝等が油の心を清水に変へるにあらざれば、神の水には化し難し。是には如何なる法を択ぶべきかを考へ見よ。
汝等衆人信じて迷ふなかれ。されど我等をはなれて他に道を択ばんとする者は、我等の言葉を信ぜずとも可なり。我等に来らんとするもののみ是を信じよ。我等は決して諸子をあやまたしむることはなさざるなりと誓ふ者なり。我等は諸子を愛す。されど諸子は我を愛せざるが故に、一体化することは得ざるのみ。されば我等諸子を愛する如く、諸子も我を愛せよ。然して一体化することによってすべては解決するならん。汝等、我をたづね来たらば、我は面会謝絶するものにあらず。必ず会ふべし。
然することによって愛は成立するなり。恋も成立するなり」と

有難い言葉ですね。

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