覚者慈音1542   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

この写真googleで眉目秀麗の男女と検索した処このような絵がでてきた。両親はともに不細工な顔立ちでしたが、整形の結果は美男美女に生まれ変わった。でも生れて来た子供はかわいそうに


覚者慈音1542
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十八    自然因果と因縁関係について
        インショウ、ミキョウ貴尊講述

              2019.11.23


 前に述べたる毒水濁水の事について詳細説明せんとす。 先づ是を聞くに先だち少しく考へを他にうつして考究する必要あるなり。例へば人と人と交はりを厚ぅして相互間に何等のわだかまりもなく親しき交際を結び居たる時、もし先方があやまちて毒水を汝にすすむるならば、汝は前後の考えもなく是を飲みて死を招くならん。是等の事柄は因果論に於て最も至難なる問題にして是を解決することは当今の宗教哲学易学等々に於ても、唯因縁なりとして説明する他なかるべし。されど毒水と濁水を別々の器に入れて、二個の何れかを飲めよとすすめらるる時、美はしき水を飲むは是又当然の如く思はるれど、是を自然の法則に従ひて説明せば、是は容易に解決することの至難にはあらざるなり。即ち是は刹那因果の法則にて、これを看破する事は容易なり。斯る場合に遭遇したる時は刹那因果の法則なりと思ひて、相手方の顔色動作或は眼を見れば忽ち看破することを得るなり。所謂計画したる事柄は即席なるが故に、是を見破ることは訳もなき事なり。されど是等の事対して我等の語らんとするところは斯る簡単なる意味を語らんとするにあらず。もとより人を傷け殺害せんとするに至る迄の理由ありての事ならんも、二個の水を用ゆる如き浅薄なる行為を敢てするは是小人のなす業にて、所謂猿智慧の悪戯ごとに過ぎざるなり。我等はかかる浅薄なる事を語らんとするにあらず。世人は旅をして山清水の美しく清らかにして冷水ならば、何の考えもなく是を口にするならん。もし此水が鉱水の毒物を含みたる水なりせば肉体を損ふことあらん。眼に依って清浄なるものを好むは、是智慧の至らざる故なり。又因果の道理を知らざるによってなり。今左に別個の例をあげて語らんに、眉目容貌美しき女を見て、是に懸想し己が心を是に奪はれて、遂には人生の使命をあやまつ人多からん。若き時女色に溺れて遂に身を破る人尠なからず。是等は汝等の世界一般の悪習にてはあらざるか。現今男女間の問題について種々様々の説を称へて、彼是論議なし居れど、男子は女色に溺るる結果が多きこと、古今を通じて変りなしと我等は断言して憚らざざるなり。眉目容貌美しき男子等は己が美を誇り、其美によって心のままに相互誘惑して是をもてあそばんとする如き風習は、今後と雖も継続することならん。斯る事にては世は堕落するのみにて進歩発達は望まれざるべし。先に語りし清らかなる水と、濁れる水の対照は即ち是に匹敵する例として語りしなり。清らかなる水の中にも毒水あり又濁れる水の中にも良水あることに心づくならば是を是正する方法なかるべからず。この方法を知らんとするには、先づ原因より結果に至る迄、よくよく推理して考察すれば斯る誤ちはなかるべし。

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