覚者慈音1539   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1539
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十七    有機の因無機の因
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                 2019.11.22


 例へば一個の器に清らかな水を入れて其中に毒薬を混入し、肉眼にて是を験するも清水と見分けのつかぬものを作りて、更に毒薬の臭ひを何かの方法にてとりさり無味無臭となして、又同じ器に聊か濁りたる水を盛り渇ける人にすすむるならば、その人は清らかなる方を飲みて濁れる水は飲まざるべし。因果の法則には斯くもまぎらはしき事の多きが為に人は自然をあやまちて知らず知らず不自然に傾くことおおし。もし汝にして斯る場合に遭遇せば如何にしてその鑑別をなすや。誰しも清浄なるものを欲するが為に、却て生命を失ふ結果とならん。是等に類する事柄を広く他に及ぼして、よくよく考慮して真の正しき因果関係、或は因縁関係を明らめ居らずば、身を亡ぼし生命迄失ふ結果を招く恐あらん。是等に関しては追々説明することとして、次に今一つの一大事の問題を掲げて是等を統括してその真理を語らんとす。
 先に語りたる瓜の蔓茄子はならじの事について、是等の意味も広き範囲にわたりて応用すれば、自然の妙味を味はひ得らるる事ならんと思ふにより聊か説明なさん。始め瓜の種子を蒔き是をそのままに育てるならば又瓜を稔て終る。是自然の法則なり。されどその瓜の種子を蒔きてよりてのち花を開らかせ是に種々様々の方法を以て或種の種子を交々交配せしめて、更にその種子を育つるならば是又瓜の本分を変化せしめて、更に異なれる実を結ぶ。結びたる種子を更に蒔きかへ、又他のものを交配せしめ、結実せしめ、変りたる種子をとりて作るとせば、その結果ははじめの瓜と全く異なりたる種類のものが現出するならん。所謂瓜の種子と種子と交配せしめて育てあげ、瓜の蔓に茄子をならせたると同様の関係も推して知らるるならん。所謂あみの目の如く自然の縁を利用せば、縁の自然は種々様々にはたらきてここに新しきものの数々を世の中に現出す。是即ち自然の法則なるによりて世の中の自然より現出し来れる新らしき自然は生れ来るなり。故に自然は自然を生み、更に自然の結果をもたらす。故に本然の自然に立ち返らば、即ち原因と結果は自然に於ても見らるるなり。もし此自然に変化なきものならば自然の範囲は僅少にして取るに足らぬものなり。自然の道理は世人の智慧にては到底自然の大意を認識すること難かるべし。されば世人の心に思ひ居る自然と、我等が語る自然とには大なる誤差ある事に留意せざれば、正しき自然を認識することは得難し。自然の道理を弁へずば身を亡ぼし、天寿をも空しくする事はまぬがれざるべし。

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