覚者慈音1536   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1536
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十六    有機の因無機の因
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                 2019.11.20


 八大門の講義に於て網の目の如く拡がりたる中を一個の魂がすらすらと迷はずくぐり来りて、他の魂を抱きて、又すらすらと帰り行きたることを読みたるならん。其はこの因果の法則を教へたるにて、霊子より己が分野を認知し居りて迷はずその網の目をくぐり行き、更に又迷はず帰ることを得たるも、是自らの因果の法則を認知したるが故に、斯く複雑なる網の目を訳もなく往来することを得るなり。もし其が中途因果の法則にて是を往来せんと計るとも唯迷ふのみにて、果は同じ場所を幾回となく放浪するのみにて、己が分野は如何なるかをも知らず、帰るべき処すら見失ひて永久に放浪の旅を続くる他なかるべし。もし学者に於て唯学理のみ走りて、宇宙又は全宇宙を学理的に研究なす時は,無始終霊子の法則を正しく究むることは至難なるべし。何となれば無始終霊子は現今の科学者の智慧を如何にはたらかすとも、その真髄をきはむること難き故なり。汝等の世界より人智が向上して九流界八流界と次第に進みて、二三流界の人智迄到達するにあらざれば、この理の真髄は認知することを得ざる故なり。されどこの霊子のはたらきあるが故に、汝等の世界の進歩発達はなし得らるるとのみ承知して、智慧を磨き学理を進めなば、軈てはその域に到達する時節到来するならん。是に反し宗教者は宗教者として、この霊子の恵を受け入れて、更に智識を磨きおろそかにせず、又横道に這入らざるやぅ努力するにあらざれば、智識と学力との隔りは遠くなりて両立することは至難とならん。学者の智慧を磨かするも宗教者の力なるべし。宗教者は学者より一歩先んじおらざれば、学理は進まざることを考へて、学者より一段進みたる智慧を備ふるにあらざれば、宗教者の宗教者たる任務は果されざると思ひて、余事に拘泥せず自らの分野を忘れず邁進せんことを望む。
 余事は別として霊子は眼に見えず。耳に聞えざる不可思議のものにて、その霊子より種々様々の分子が生れ、其が更に融合して気素或は光素と変じ、更に融合して光気素気光素となり更に進んで空間を作り空間より実間と変じ、ここに有無の区別を現はし、或は明暗の区を具備なすに至ってはじめて、全宇宙更に別れて宇宙を構成したることに研究を進め行かば、そのすべての有様が判明すると同時に、人間の肉体に及びても、其等の原理より医学は進歩発達するに至らん。又人智の拠って来る処の理由が明らかとならば、是によって智慧の現はれ来る所以は霊子より生じて種々様々の考案力を具備するに至りたる理由も推して知ることを得ん。ここに至って賢愚の差あるは何故かの道理も亦推して知る事を得るなり。智慧の至らざるは何かの欠陥があるによって、その欠陥を補ふ方法を講じなば、智慧は向上することの疑ひなき理も亦推して知ることを得ん。



私の如き無学問にはなんのことやらさっぱりわかりませんが、大勢の読者の中にはこの文章の中に大きなヒントが含蓄されていることを発見される人もおられることと推察いたします。その人達の為に一言一句誤りのなきように注意して転記しております。

なにしろこの未知日記は後世の学者のために書かれたものですから・・・・・・・

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