尊敬する石原慎太郎先生へ

ネットで石原慎太郎さんを探していたらとても懐かしいものを見つけた。
僕が中学生の頃のテレビドラマの「青年の樹」だ。歌詞は慎太郎さんが自ら作詞されておられる。作曲は山本直純さん、歌手は三浦浩一さん。俳優陣は勝呂誉、寺島達夫、森繁久彌、香山美子などの懐かしい方々が出ておられた。

その青年の樹の歌詞の一節をここに記す。皆さんも検索して三浦浩一さんの歌を聴いてみてください。
作詞石原慎太郎


雲が流れる 丘の上
花の乱れる 草叢に
ともに植える ひと本の ひと本の
若き希望と 夢の苗
空に伸びろ 青年の樹よ


嵐すさぶ 日もあらむ
憂に暗い 夜もなお
腕くみ合せ 立ちゆかん 立ちゆかん
熱き心と意気地持て
森に育て 青年の樹よ 


多感の友よ思はずや
祖国の姿、今如何に
明日の夜明けを告げるもの、告げるもの
我等をおきて 誰かある
国を興せ 青年の樹よ


青年の国をつくろう

 
  暁の風に立て
  上げ来る潮のとどろきに
  歴史をつげるひびきあり
  いざ 手を握りもろともに
  つくりて建てんわが祖国
  青年の青年の国を



氏の二十七八才の頃の作品だ。まだ政治家にはなっておられぬ。氏のブログを拝見すると八十五才になられても尚現在の政治の未成熟に対して、彼が表白する悲憤慷慨はすこしも衰えをみせてておられぬ。立派なことだ。まるで令和の時代の老松陰を見るようだ。現在の政界に眼を転ずれば花見の客を招待しているのは選挙違反にあたるのではないかと野党は声を揃えての大合唱。日本国の価値を自ら毀損し、共産国家に阿る言辞を吐き、あまりに低次元で稚拙な国会論争に終始している。こんなつまらぬことに時間を費消していては未来の子供たちからも嘲り笑われてしまうだろうに。野党はまるで売国を喧伝することが正義であるかのように狂ったように吠えている。この人たちは何のために国会に議席をおいているのだろう。又是等の議員を擁した人々も同罪だ。慎太郎さんの言葉を借りれば君、国を売り給ふこと勿れだ。


未知日記に敗戦後の日本のことが綴られている。それをここに転記する。
「慈音よ。其迄は如何なる困苦にさいなまるるとも自殺などの犬死をなすこと勿れ。されど堕落の一途を辿りつつありたる日本は三〇年後に至るも未だ覚醒せざるのもの多くして優柔不断の生活は持続せん。
 恐ろしきは過まれる共産主義なり。ソ連の首魁者死してのち後継者は益々方針を変へて悪辣なる姿を現はし、米英仏等の諸国も是には前後策に腐心して今や一戦に及ばんと迄謀るに至る。其迄にも小なる戦ひは断間なからん。此頃戦時中小学に学びし者が第二国民として活躍を始むるによりて日本の姿もやや立ち直るなり。ロシアも思想は三派に別れ、米国も黒色人種の活躍を見るに及びて其趣を異にす。我、是等を詳細に鏡に映したけれど、教主の教へに手間取るを怖れ、且つ鏡の教へとは趣を異にするを以て、是等を省略して唯鏡の威徳について今少しく述べて責務を果すべし」と


大事なところは、此の頃戦時中、小学に学びし者が第二国民として活躍を始むるの言葉だ。貴尊方は石原慎太郎さんを幼小の頃からじつと見て居られた。彼はまさしく敗戦国日本を憐れみ給ひし天が導かれた日本国再興の為の申し子の一人だ。

 つい先日氏の著した「巷の神々」を読んだ。そこには明治から昭和にかけて多くの新宗教が派生した経緯が詳細述べられていた。当然宗祖達による病気直しとか小さな奇蹟談話が数多く盛込まれていた。そしてそれらの信者達が仰ぐ聖典と呼ばれていたものもいくつか読んでみた。信者獲得に成功した教団は大きな伽藍を建て、彼等から搾取した奉納金でみるみる大きな組織団体へと変貌していったのは周知の通り。もし慎太郎さんが巷の神々の執筆当時、この未知日記の書を当時読んでおられたなら、今彼の持つ宗教観或は死生観も大いに異なつたものになるだろうに。
氏の著書である「私の好きな日本人」の中に賀屋興宣(かやおきのり)のことが書かれたところがある。この人は巣鴨で十年間も政治犯として刑に服していた。慎太郎さんが彼に東京裁判の非合法性について質したら、
「なあに、人間というのは誰しもいびつなものですからね。だからあれでもし日本があの戦争に勝つていたら、日本人の方がもっととんでもない裁判をやっていたに違いありませんぜ」そして「まあ、あの裁判は私への勲章みたいなものだと思っていますがね。こんな国が、あんなアメリカやイギリス相手に三年間も戦争出来たのは私の財政のお蔭ですよ」とカラカラと笑って云った。
慎太郎さんが彼に続けて問う、
「人間が死ぬというのはどういうことですかね」
すると彼は云う
「つまりませんな、死ぬということは、いろいろ考えてみましたが、わかってきましたな。人間は死にますとね、暗い長いトンネルみたいな道を一人でずうつと歩いていくんですよ」
慎太郎さんが彼に、
「なるほど。それならやがてその先で、オルフェみたいに亡くなった奥様や、あの想い出深い幼馴染の女性とも再会できて」と云ったら彼は強く手をふって、
「いやいや、そんなものじゃありません。そうやって一人で歩いていくと、やがては悲しんでくれていた家族も私のことなんぞ忘れちまつてね、さらにその先、この自分も自分のことを忘れてしまうんですよ。つまり何もかも全くなくなってしまうです。だからつくづくつまらんですな。死ぬといふことは」といって私を見なおすと低く乾いた声で笑って見せた。
云われて私は息を吞むような思いでこのしたたかな老リアリストを眺めなおしていた。
この段に及んで、彼が秘めていたこれほど強烈なニヒリズムに行き合うとは。


 氏は別の著書でもこの賀屋氏のことを取り上げ彼の死生観を著述されていた。一介の名もなき市井の老人が、尊敬する氏に対して申し上げるのはとてもおこがましいのですが,僕のブログである「覚者慈音」を是非ともお読みいただきたいと思う。特に「大霊界」の覚者慈音48を最初からお読みいただくことを強く強く懇願する。すればいままで誰も知り得なかった神の造られた宇宙空間のすみずみをくまなく知悉する事になるでしょう。すれば賀屋氏の云う死生観なるものを必ず払拭されるに違いありません。石原さんの心の片隅に賀屋氏と同様の死生観がひょつとしてあるのではないかとひそかに危惧したからに他なりません。

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