覚者慈音1532   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1532
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十六    有機の因無機の因
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                 2019.11.16


 然りとせば動静と云ふも迷ひとなり、有無と云ふも亦迷ひとなる。故に有無を伴はざる有或は無、又動静を伴はざる動或は静と見なすか。但し有無を伴はざる有、或は動静を伴はざる動として判断する時、又無或は静について又迷ひを生ずる結果ともなる。然らば如何なる言葉を以て世人に是を認識せしむることを得るやについて、我等は深く迷ひを起し居ることについて、ここに一段の工夫をなさざるべからず。果して是を認識せしむることを得るやは世人の智慧の程度によつて、或はさとり、或はさとり得ざるの止むなきに至らんとは思へど、百中に一人たりともさとり得る人あらば、未来に至って人智の向上なすに至らば、その因は軈て果を見るに至らんとの望みを抱きてここに聊か記し置かんと考ふるものなり。
 さて全宇宙の大義を広く語り居らば万巻の書を以てすとも尽きざるべし。故にその範囲を小さく縮小して人間の肉体にとりて、是を説明して理解せしむるならば、却てさとりも早かるべしと考ふるが故に先づ人間のみを標準として語らんとす。故に智慧ある人は是を広く高く拡大強化して思力を延長せば可ならん。


 現今汝等が世界の人類幾億人ありと雖もその悉くが皆一様ならざるべし。是を仔細に観察すれば学理上よりその異なれる様についての説明は容易に計ることを得るならん。されど有形なるが故に、方法によって明らむることを得れど、その悉くの現はれざる過去を計算する方法は至難なるべし。是無形なるが故にはかり知ることを得ざるならん。又是を未来に及ぼして推定なさんとする時同様の関係となる。即ち過去の無形と未来の無形は学力によって推測せんと計るもそは推理にすぎず。唯過去は斯くありて未来は斯くならんとの予測にすぎざるならん。
 例へば人智の高低の程度を唯脳にのみよって測定するならば、其は唯脳の程度を計り得たるにすぎず。智慧の程度を完全に計り知りたりとは云ひ難からん。是を詳細知らんとならば、其は唯脳の程度を計り得たるにすぎず。智慧の程度を完全に計り知りたりとは云ひ難からん。是を詳細知らんとならば、先づ肉体の細胞組織の完全不完全より測定し、然して脳にうつして考究するにあらざれば正しく確定することは得ざるべし。有形のものに対してすら斯くの如く複雑微妙なる処迄学理を広くするにあらざれば計り知ることの至難なるに、まして無形のものを知らんとするに至っては、殊更複雑なる学理を以てせざれば推理することは困難なるべし。わづか人間の肉体に於てすら斯くの如くなる道理あるに対して、宇宙の広大無辺なるに至っては、人智の程度が向上発達するにあらざればその真髄をきはむること難きは云ふ迄もなし。



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