覚者慈音1531   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1531
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十六    有機の因無機の因
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                 2019.10.31


 大凡宇宙は動にして静にあらずと考ふる時動ずるとは、静の対照として取り扱ふものならば、動には静を意味し、静には動を意味する関係あらん。されば絶対動と云ふことが成立するものなれば、絶対静も自づと成立する道理あらんとは考へざるか。ここに論旨をすすむる時、動と静との区別について世人は迷ひを起すならん。もし絶対静が成立するものならば、宇宙の運行は休止するの止むなきに至らん。所謂絶対静と云ふ言葉の成立するものならば、全宇宙は消滅することも考へざるべからず。もし絶対静が成立すると仮定して思ひを深くし見よ。然る時は有形無形のものはすべては絶対無否絶対死となりて、宇宙全宇宙は破滅するの他なかるべし。然りとせば宇宙全宇宙は始めありて終りある結果とならん。もとより宇宙は始めありて終りあるやも計られねど、全宇宙に至っては終始の定めなしと考へざるべからず。ここに至って理論は混乱して思慮分別の及ばざるに至るは当然なるべし。始めあるが故に終りあるはこれ絶対にあらず。
 太陽系宇宙は全宇宙より作り出されたるが故に終始の定めあるは当然なれど、終始なき全宇宙の大義に至らば即ち動にもあらず、又静にもあらずとの意味を考慮して、ここに始めて新らしき一つの考へを抱くに至らん。されば太陽系宇宙の動静と、全宇宙の動静とは従って相似て異なる現象を見するに至っては、動静の区別も従って異なる動静なりと考へざるべからず。絶対と云へば人間界の言葉は其以上の言葉は未だ用い居らざるが故に、従って是に対する適当なる言葉を案出せざる以上、到底認識するを得ざらん。動静に於て然りとせば、有無の関係に於ても亦同様の理論は伴ふなり。されば有機と云ひ、無機と云ふも亦同様の関係となるは当然なるべし。相対の有無、絶対の有無、絶々対の有無と、すべて深く掘り下ぐるならば、その極致に達したる言葉を有無によって現はすことは不可能となる。何となれば有無は一体ならざる以上、何処迄追究するもその区を明らむることは至難なる故なり。有無一体となりての有無とならば、是に如何なる言葉を以て認識することを得せしむるか。即ち空(クウ)と云ふ言葉を以て示めすの他なかるべし。是は人間界言葉不自由なるによってなり。空と云ふ言葉に至らば、是又その空に対して、又其働きをなさしむるに至っては、却て人心を混乱せしむるのみにて、空と云ふ言葉の範囲きはめて広くなり、解しかたによっては又狭くなるによって、確定語による空と云ふ文字を以て現はすことも又至難なるべし。是人語の不自由なるが故なりとも知らば、ここに無言詞の空を認識するの必要にせまらるるならん。言葉なき言葉によって、その空と仮称し居る意味を自づと理解せしむるにあらざれば、到底全宇宙の大自然を把握することは難し。

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