覚者慈音1524   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

此処の箇所はとても重要事項です。よく玩味されんことを
覚者慈音1524
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十三    空間に種子を蒔く法とは如何
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                 2019.10.27


 拝みとは即ち空間に種子を蒔きて是を育て居る法に合ふと知らば、空間に種子を蒔くとは即ち全宇宙に同化せんとはかるにすぎず。この岸より彼の岸に渡ると云ふことに対して、汝等世人は船に乗りて大海を渡ることを考ふるならん。是即ち横這ひにて地球を幾周か廻るに他ならずして、何時か迷ひの海より悟りの岸に上陸することを得んや。汝等の考へは斯くの如き思ひにて地球にのみ囚はれて大空の宇宙を目標となさず。故に肉体の苦患を増すのみにて何日か是を度脱して、自然の懐中に抱るることを得んや。全宇宙より狭き地球などを見ば恰も細獏の胞子を一周するにすぎず。斯る浅薄なる考へを捨てて宇宙の広大無辺の地にたち返へらんと計れよと教ゆるなり。汝は小さし。されど汝の霊は広大無辺ならん。この広大無辺なる霊を持ちながら、この霊に種子を蒔かざるが故に美き花は開らかず、小き汝が心のみ地中の暗き処に醜き花を咲かせ居るにてはあらざるかとの思ひを致して、早くこの境涯を度脱せよと云ふことを教へ居るなり。是にても未だ悟ることを得ざるか。手を合はせ頭を下げて拝みするは何を目標になして拝み居るや。即ち空間を目標となしての拝みなるべし。その拝みこそ空に種子を蒔く方法にてはあらざるかと思ふが、汝は何と考ふるや。世人はよく口にする所を聞けば斯る世に長く存せんよりは、早く肉体の苦をのがれて天界に行きたしと語り居るを、我等耳にして苦笑するものなり。世人の世を厭ふと云ふは肉体の苦患を早くのがれんとするに他ならずして、他に何等求むるところあらざるは語るの余地なし。もし世人にしてその日その日が安楽に娯しく日を送るならば、決して死に度しなどの言葉は口にはせざるべし。悟りたるものの死にたしと云ふ言葉と、世人の言葉とには大なる相違あるなり。世人は肉体の苦患を厭ひてその苦患をのがれんため言葉にすぎず、悟りたるものの死にたしとは死ぬにあらずして神界に早く生れたしとの望より発する言葉なれば、世人の考へとは全く雲泥の差あることに心づくならば、肉体の苦患などは何のものかはと考へて、この肉体を早く育てて然してその肉体に有する心霊の力にて、宇宙の広大無辺なる安楽境に入らんとははからざる !
  肉体の苦患などは微々たるものにて取るに足らず。もし世人にして宇宙の自然を悟らず、唯肉体の苦患を厭ひての死なれば、真の死に化せられて永久の苦はまぬがれざることに早く心附きて、修養の力を強くして、肉体の苦患を堪え得る力に変ぜしめよとすすむるものなり。所謂空間に種子を蒔く方法とは斯くのごときを云ふ。

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