覚者慈音1519   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1519
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第四十二    肉体をはなれて霊に従へ
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                 2019.10.26


 世人は空間に実を結ばせることを考へず、地上にのみ枝をのばせ葉を繁らせんとなすは即ち肉体に囚はれ居るにて、所謂接続根のはたらきが斯くなし居る罪なり。接続根が空間に思ひを致すならば、枝葉は空高くのび行きてよき花実を咲かしむることに心づかば、天界の広大無辺にて何等の障碍を受くることあらざるは云ふ迄もなし。然るに接続根は是を考へず、唯地上に這ひまわるが為に、或は岩石に或は山河にのび行きて様々の障碍を醸し、遂に果実を得ること難きに至るは、即ち接続根の至らざる故なり。接続根は肉体にのみ囚はれて空間の広大なるを知らざる故なり。されば接続根を充分に育てて空間の限りなきを悟らしめざるべからず。要は接続根に相当する自我心を教へ育つるにあらざれば、永久に肉体を離るること難からん。人を教育すると云ふは即ち自我心を漸次に導くにあることは云ふ迄もなく、然して自我心が神霊の感化をうくるにあらざればその目的は達し難し。肉体をはなれて霊界に思ひをはせよと云ふはとりもなほさず、肉体より霊界に進めよと云ふことに、肉体をすてよと云ふにはあらず。地に蒔きたる種子は根を下す。その根をすて、空間にのみ幹をのばさば却て幹を枯らす恐れあらん。根をかたく張り、その根の力にて幹へと養分を送るならば、空高く繁茂するは理なるべし。肉体に於ても同様の関係あることを悟らざるべからず。是をなさしむるものは即ち接続根の任務なるべし。接続根即ち自我心は、肉体にのみ囚はれ居て神霊の広大さを知らざれば地上を這ひまわるのみにて、根にのみ力を与ふるが故に、根も幹も共に地に囚はれて枯死するの他なからん。この理を深く認識せば自づと悟することは至難にあらず。接続根即ち自我心を教へ育てて、根の小我より幹の大我へ至らしむるには自我心を大我に至らしむることに心がけて進まば、根と幹の一体化は容易なるべし。故に尊きものは自我心にて、大切なるものも亦自我心なりとの理は、是によって明らかに諒解するを得たらん。我とは即ち自我心なることも亦うなずくところあらん。早く大我に相当する霊空に望を抱きて、根の小我より幹の大我に至らしめよと教えるものなり。世人は地上に種子を下すことは認知し居れど、空間に種子を蒔くことを考へしことはなかるべし。我等の願ふところは即ち空間に種子を蒔けよと祈るものなり。

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