覚者慈音1518 未知日記 第九巻 因果論 人身篇 第三巻 インショウ、ミキョウ貴尊講述
覚者慈音1518
未知日記 第九巻 因果論
第三の巻
心霊篇
第四十二 肉体をはなれて霊に従へ
インショウ、ミキョウ貴尊講述
2019.10.25
心の美しき人を見て其心を美しと其ままに見るならば、摘みとりて我家持ち帰るは、即ちその清らかさを己が心に移し止めて是を永く己が脳裡に貯へ居らば、其にて摘みとりたると同様の姿とならん。庭前の花を摘みとるはこれ己が作りたるものを己が望に従はせたるにて、神に捧ぐるにはあらずと云ふ事も此理より察すれば、その花の如く己が心も清らかになして神に捧げんと云ふ其気持ちを、神に示したりと思ひて、花を神に捧ぐるならば、神はこれを諒となし給はん。世人の向上せざるは世人の罪にあらず。所謂我等が世人に施す肥料の加減が悪きため往々あやまちを生じ居るが故に、罪は我等にあるなり。我等よき実を結ばせんととして、却て肥料を施しすぎるために、或は茎を太らせ大切なる果実を失ひ居ることを、実に歎はしく思ふものにて、如何にせば完全なる果実を作り得るやと其のみ専心努力なし居れど、未だその域に達せざるは是我等の智慧と実験の浅きことを慨嘆するものなることを、深く神に謝するの他なし。世人よ、我等の至らぬことに対して嗤ふならん。されど我等は決して世人を棄つるものにあらざることを諒とせられたし。
厳戒の辞、三唱
チッ、シュ、キュウ、ジョウ、ギョウ、コウ、フク、セン