覚者慈音1495   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1495
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
第三十五    一心と一方心の関係
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                2019.10.16


 引力の道理に於ても亦これと同様の関係あることを重視せざるべからず。圧力に重点をおかば引力は影となり、引力に重点をおかば圧力は従って影となる。我の語りしは是なり。一方に偏して進みなば一方は影となりて従ふの他なし。故に正しき一体化ははかられざる道理を教へ居るなり。肉体について語りしはここなり。すべて形を有するものに重点をおかば、形なきものは影になりて従ふの他なし。形あるものは表面化し、形なきものは裏面化するの道理を示めしたるに他ならず。すべて世人の修養修行は形を有する肉体に囚はれありて進むが故に、肉体本位となり精神は蔭に従ふの他なかるべし。ゴムまりは所謂肉体に相当すと考へなば我の語りし理は察せらるるならん。一方的に進まば即ちゴムまりの如く弾力性を失はば、使命をはたすこと難きと同様にて、肉体本位に囚はるれば肉体滅すれば、即ち使命を全うすること難きと察しなば、我の語りし言葉は正しきか、或は正しからざるかに思いをいたして考究すれば可ならん。世人は肉体を唯はたらかすことを使命となすや。或は肉体に宿されたる何ものかをはたらかすことを使命となすやを考へて、肉体本位ならば肉体に重点をおく修行をなし、精神本位ならば精神本位に向ひてすすむ修行をなさば可ならん。何れを択ぶやは世人の心まかせなす他なし。さりながら我等は世人を導かんとするは、肉体本位を棄てて、精神本位に従はしめんとはかり居ることは云ふ迄もなく論ずる迄もなきなり。一方心とは即ちこれなり。肉体的に偏らば肉体的に化し、精神的にはたらかば精神的に化す。故に一方心は偏りては完全に稔りを得ることは難きを以て、かたむかざるやぅになすには一心に帰せしめてにあらざれば、確実なる結果は得られざることの理も亦推して知ることを得ん。されば一心に帰せしむるには何かの方法なかるべからず。然れば真の一心とは何か、又一体化せしむる方法は如何にとの思ひになやむならん。是には二種の法あり。精神に重点をおく考へより一体化せしむる方法と、肉体主眼よりはかる方法との二種なり。世人の如く肉体の門戸の開閉を自由ならしめずして行ふ方法は、是を空しくして成功するものにあらず。要は肉体の門戸開閉を自由になすにあらざれば一体化は望まれざるなり。


 圧力よりはかる方法と、引力よりはかる方法の何れかを択ばずば、その一体化ははかられざる事に思ひを廻らすの要あらん。所謂自力と他力の二法の何れかを用いて工夫するにあらざれば成功は至難なるべし。所謂二つの方法とは自力か他力かの二方面にむかひて工夫することを云ふなり。即ち自力即他力、他力即自力の関係あるによってなり。此二法の何れかを択びて随時行ぜば一体化する結果とならん。

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