覚者慈音1494   未知日記 第九巻   因果論  人身篇一      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1494
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
第三十五    一心と一方心の関係
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
                2019.10.15


 世人には肉体と云ふ形あるものを有するが故に、その有形と無形を一体化せしむるには、引力性を用いて引力より無形のものを誘導して有無一如ならしむる方法にして、これ即ち一体化せしむる一つの法術となるなり。形あるものに対して形なきものを誘ひ入るるには、圧力に相当する形あるものを如何に押し進むとも形あるものの内部は唯空虚ならしむるにて、一体の境地には達せざることに思ひを致さざるべからず。例へばゴムまりを如何にころばすとも中は空虚なるによって入り来るもののあらざると同様なり。かく説明せば世人はゴムまりは空気充たされあるによってゴムまりとしてのはたらきをなし居るなり。もし空気外に出づればまりのはたらきはなさざるべしと云ふならん。これ理にして理にあらず。充たされたる空気は何日かは外にあふれ出づることもあらん。
 我かく語ることによって慈音は此言葉に対して疑いの心もて、欣情の筆に妨げをなしたること是半信半疑の結果の現はれとして、我は苦笑なし居るなり。慈音にしてかくの如し。世人の迷ふは当然ならん。すべて世人は物事を聞きてその最後の言葉迄の間に疑心を抱き、然してその疑心より横道に迷ひ最後の言葉迄其が為に傷くこと多し。これ中途因果の法則なるが故なり。不明瞭なる言葉なるによって世人には通ぜざるべし。ゴムまりの使命は那辺にあるかを先に認知なし居らば慈音の如き疑ひはあらざるなり。ゴムまりの使命は弾力性をモツトーとして圧力に富ましめんことを目的となし居るが故に、使命は即ちはね上るを骨子となし居るにてはあらざるか。所謂圧力を以て己が使命をはたさんとするにあり。弾力性が最高潮に達しなば其にて彼の使命は果たされたるなり。此理をはじめに認知して我の説を聞くならばかかる疑ひは生ぜざるなり。圧力性をモツトーとなし居るゴムまりは即ち一方的にはたらくは理なるべし。圧力性高潮に達しなば、引力は如何に化せられ居るかを世人は考へしことありや。然らざるべし。圧力と引力とは互に平均なし居る如く思はるれど、その引力は圧力の中に交はりてあるが故に、圧力性に化せられて己が本分を圧力性の方向にむかいつつあるにすぎず。故に是を一方的と云ふなり。

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