覚者慈音143  大霊界  空の信仰、虚の信仰  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO99
      
空の信仰、虚の信仰          その4
                                                教主寛大 講述


 汝等諸子の世界に於て疎ぜられ居る白痴者も、愚者もみなその悉くを引き上げて、天界のものたらしめんと計り居るものは、天界の学者なり。天界の学者は宇宙のすべてを救はんとする、正しき学問を学び居るが故に、汝等世界のものと雖もすべてをあまさず引き上げんと努力なしつつあるなり。是等は学問によってその徳に浴さしめんと計り居るなりと知らば可ならん。この事柄より虚心と空信との相違はうなづかれたるならん。汝等の世界のものはすべて虚心者多し。故に我等は空信を得よと教へ居るなり。空信とは点火したる光明の如し。虚心とは光明を薮ひかくしたる姿なり。この理を認識把握して修養の道を考へよ。
 汝等諸子の世界の学問は汝等諸子の世界には通ずれど、広き天界の学問とはその趣きを異にするが故に、通ぜざること多し。天界の学問をなさんと欲するならば、汝等の世界の学問にのみ囚はれ居りては、如何に努力すとも及ばざるなり。故に我等は諸子に対して天界の学問を、些少(いささか)たりとも知らしめんとして努め居るに対して、諸子は是を迷信とか妄信とか称して受け入れることを好まざるが故に、我等の労苦も水泡に帰すること多し。
 我等は空によって実を伝へんと計り居るなり。汝等諸子は実によって空を求めんとするによって、ここに喰ひ違ひを生じ、ために我等の説を実として受け入れる力なく、徒に実を空なりとして排斥なし居るなり。斯る事にては我等如何に努力すとも及ぶべくもあらざるべし。我等の空を伝ふるは空にあらず。実を伝へ居るなり。然るに諸子は虚説として耳をかさざるならん。故に虚信を捨て、空信を求めよと云ふなり。虚だのみするは虚信にして空を求むるは実信なり。虚信は無に属し、空信は有に属す。この理を推知することを得ば空を信ぜよ。虚を信ずる勿れ。空信虚信は僅少なる相違なれど、結果に於ては有と無の関係となる。空によって有を求めよ。虚を信じて無となす勿れ。道理を理として信ずるは空信なり。不道理を理として信ずるは虚信なり。我等は道理に合はざることを諸子に伝ふるものにあらず。例へば一本の鉛筆を汝等に示して、是は文字を描く器具なりと教ゆとも、諸子は是を眺め居りては実とはならざるべし。描きて始めて事実を知る。それと同様にて我等の教ゆることを実行せば必ず目的は達せられ、然して結果を知ることを得るなり。よくよく心して空の信仰を厚くせよ。

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