覚者慈音142  未知日記講義第一二巻  大霊界  空の信仰、虚の信仰  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO98
      
空の信仰、虚の信仰          その3
                                                                            教主寛大 講述


 天界は遠からず。近き処にありと語り居るは是なり。汝の肉体は汝なり。その肉体を支配するものは汝の心なるべし。既に汝には天界を与へ給ひ居るにてはあらざるか。その心して高く高く引き上げられんことに力めよ。然することによって身も心も共に救はれん。傷きし肉体は薬石によって治癒す。心傷かば何によって治癒せしむるかを考へ見よ。肉体の苦みを薬石にて治癒するならば、その時は嬉し思ふならん。されど心の傷きしものを治癒することのむつかしきは、如何なる理由によるか。心傷かば智慧と云ふ名医によるにあらざれば治癒するものにあらず。智慧とは何かをよくよく思惟せよ。
 我かく語らば近代の医学者は云ふならん。肉体健全にして脳力すぐれたるものならば必ず智者なり。是は肉体組織のはたらきが完全にそなはりあるによってなり。故に健全なる心は健全なる肉体に宿ると説き居れり。されば賢愚は脳力の如何によると説き居るは近代の医学者の説なり。我等はこの説を否定するものにあらず。又肯定するものにもあらざるなり。是には種々様々の理論あれど是は省略す。もし学者にしてその事実をたしかめたくば慈音を見るべし。彼の肉体完全なりや。すべては欠陥のみにして脳に於ても亦完全ならざるなり。されど彼は今や人間界を度脱しあることに眼を注ぎ見よ。是等の点より考ふれば現代の学理に対して、否定も肯定もなし難しとの言葉は、あながち理屈にはあらざるなり。正しき道を択びて一路進み行かば賢愚の如何に不拘、目的の地に到達することは至難にあらず。智慧を延ばせよと云ふ言葉は、道を進めよと云ふ意味なり。賢愚を論ずるにあらず。諸子は智慧と云へばその如何を判別するに、賢愚を以てするは誤ちなり。我等は諸子に賢者になれよと云ふにあらず。又愚者となれよと云ふにあらず。賢愚はものの数ならず。智慧すぐれたるものを賢者と云ふならば、智慧の至らざるものは愚者として、終生天界をきはむること難からん。愚者として疎んぜられ居りし泰岳が今やコ-セイ、ミキョウの座にあり。汝等諸子の考へる賢愚と、我等が語る賢愚とにはかくも相違あるによって、医学者の説に対して肯定も否定もなさざるなり。智慧を拡大強化せよと云ふことは、天界に来れよと云ふ意味に解釈せば可ならん。汝等諸子の世界にては学問すれば賢者と云はれ、無学の徒は愚者として疎ぜらる。その賢愚は正しき賢愚にあらず。未来の天界を早く知りて是に足を向けたるものこそ、我等に云はしむれば真の智慧者なり。是は諸子の世界の学問にては知ること難し。諸子の世界には天界の学問はあらざるなり。故に我等の伝へ居る事柄は、天界の学問なりとして学ばば可ならん。汝等の世界に於て広く学びたる学問を応用して、その学問によって推理力を延ばし天界をきはめんとなすとも及ばじ。其は唯虚なるが故なり。是等を我等に云はしむればそらだのみと云ふなり。天界の方向に心をむけて学ばんとなすものこそ、我等は空智を得よと教ゆるなり。所謂空の信仰を求めよと教ゆるなりと思ふべし。汝等諸子の学理は、その世界には必要なれど天界には何等の要をなさず。

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