覚者慈音1461  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一    インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1461
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
        インショウ、ミキョウ貴尊講述    
                2019.9.29
第二十六    信力について


 素直なる人に対して一枚の護符を与ふる時、この護符の力は甚だ強ければ是を常に肌身につけをかば諸々の災害はまぬかるることを得んと教へて彼に渡しなば、その力は彼の素直なる心の助けとなるによつて彼はその護符に依て様々の危険をまぬがるる事も多からん。故に信ずる力は斯くもつよし。信ぜざる人に是を与ふるとも何等のはたらきもなすものにあらねば疑ふものには決して徳は得られざるなり。斯く考ふれば信ずる力の強きは是か、信ぜざるものの力は是かの区別も、従って明らかとならん。されば信じて救はるる喜びを味ふ人と疑ひて苦しむとの何れを択ぶやは世人の思慮に任すべし。とにかく信ずる力の大なることは論を要せず。ここに於て釈迦イエスは信仰の徳を広く普及して世の中を極楽天国となさんと計りしも、是その意中は那辺にありしかを認識せば彼等の徳の広大無辺にして慈愛のすぐれたることも推して知ることを得るならん。
 信力にはかくも強弱ある事を知るならば如何にかして強き信力を養ふべきかについて一段の工夫をなさざるべからず。是を強化せんとならばものの道理を明るく知りて迷はず、自覚するにあらざれば正しき信力は得られざる道理あらん。附焼刃の信力は何時かは錆を生ずるならん。鍛えに鍛えたる銘刀とならば永久錆を生ぜざるべし。
 信力を深く認知するには様々の疑ひを排除するに不如。一も迷信二も迷信として是を放棄なし居らば決して真の信仰は得らるるものにあらず。されど凡ての事柄を明らめんとなし居らば、己が命数幾何ありとも決して知り尽し、きはめ尽すことは至難なり。故にその多き事柄の道理をきはめんとなさんより、何か他に一つの大切なるものの道理をきはめなば、却て凡ての事柄は自然にその道理を自覚する事の至難にあらざることに着眼せば、道は却て早く明らかとなるなり。他のことに迷はず一つの大なるものの真髄をきはむるに不如。

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