覚者慈音1455  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一    インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1455
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.26
第二十四    有縁と無縁との関係  其二


 前講の情死問題は前の音楽図一二を参照せば明らかに知ることを得ん。ここに注意す。つぎに我、テツシン講録に於ていささか語りをきたる干支論を音楽にうつして語らば次の如き形となる。即ち十二支は十二音十干は五音五呂律、然して九星は五音律に変徴変宮嬰 商嬰羽の四音を加へたるものにて是によつて九律となる。此十二音五音呂律及び九律の組み合はせをあんばいして因縁因果の理を考究せば自然に会得理解することを得るならん。是も注意しをくべし。此他小律十二音小呂十二音或は中律十二音中呂十二音是に相当する五音律呂、九律等によって仔細にすべてを観察する法も あれどここには省略することとせり。
 されど宇宙に存在するすべてのものはみな悉く何かの因縁ありて相通じ居るを以て仔細に観察すれば無縁と云ふもの一としてあらざるなり。他のものとして是を無縁なりと観察せば其はあやまてる考へにて彼より是ヘと順序を追つて研究せばすべては有縁に他ならず。例へば一個の石と汝とには何等関係なく無縁の如く思はるれどこれを仔細に検討せば決して無縁にはあらざる事も知ることを得ん。故につまづく石も縁の端と云ふ言葉も無意義の譬喩にあらざることも推して知るも可ならん。一切衆生悉く縁なきにあらず。有縁と云へる言葉に対して無縁と名づくるにすぎざる事と知らば可なり。原因と結果にはかくも複雑多端にして是をきはむるは難し。故に世人はすべて縁あるものと思ひて無縁のものはあらじとの考へを心に貯へおかば其にて事足る。斯く語らば世人は云ふならん。宗教者が称ふる縁なき衆生は度し難しと云へるは如何なる理由に基くかと、この理は他ならず。即ち宗教者の云ふ縁なきとは相対の言葉にして彼我の区別より称へたる言葉にすぎず。縁なきものも来らば有縁となるなり。されば無縁となるの意味にて深き理由ありてにはあらず。一切衆生霊化すれば悉くが有縁となりて無縁のものは消滅す。是絶対となるによってなり。すべては縁なり。先に語りし石と汝の関係についても汝等その意味を諒解するあたはざらん。さりながら汝が住居しをる柱を支へ居る石は汝とは全く関係なきやを考慮し見よ。即ち縁あればこそ汝はその石の恵を受け居るならん。是等の理よりすべてを考察せば大凡無縁のもののなき事を明らかに知る事を得るならん。因果の道理も亦かくの如し。原因と結果は縁によつて生ず。縁なくして結果は生ずるものにあらず。縁は是を仔細に観察し行けば或一種のはたらきの力なり。引力ともなれば又圧力ともなる相対性の縁と、絶対性の縁との区別あるによってその範囲をきはめて広くなり遂には無縁と有縁の区別すら不明瞭となりて是を察知するは至難となるのみ。されど帰するところは相対より絶対に至りてはじめてその意味を悟ることを得るなり。有縁と無縁の関係については先づかくの如し。

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