覚者慈音1454  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一    インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1454
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.26
第二十三    有縁の区別


 一方は清に生れ一方は濁に生れしがため、調和も従って清濁混同して清は濁に染みて遂に動物に迄転落するの余儀なきに至りたるも因果の法則より考ふれば、一方の因は清、一方は濁にして二者一体となるとも結果は正にあらざるが故に再三再四種子は蒔かれ実は結びて果は他のものに変化せられたる結果となりてはてたるなり。因果の法則はかくの如き関係あることに留意せざるべからず。然して清濁音の調和が縁によって連続なしたる事も亦うなずき知ることを得るならん。所謂濁中に清あり、清中に濁ありの関係なるによってかかる因縁は成立したるにて動物界に転落して濁音と濁音が遂に新らしき因と結果をもたらすに至りたる事も亦知ることを得るならん。
 世人の世界には未だ此他に若き男女が情死なしたる時、一方は死せずして残存し、一方の死したるものが再び生れかはりてその生き残りたるものに又も交はりて自殺し、又一方は生き残りて死したるものが又も生れてこれに接すること再三に及ぶと云へる例話もあり。是等も音楽的に考察せばその理は推知することを得ん。されば是について多くを語るの要もなからん。世人は楽音的に考察して推理し見ば明らかに判明するならん。よつて省略す。然しながら今これを世人が詳しく知らんとするには先づ三対四律の法則を研究して後ならでは解しがたかるべし。依て前巻二十五冊をよくよく熟読なさば明らかに知る事を得ん。有縁と無縁の区別を明らかに知るには楽音の旋律を正しく運び来りたるを有縁と云い、然らざるを無縁と云ふなり。

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