覚者慈音1451  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一    インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1451
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.25
第二十二    我とはなにか


 かく心を広くして考ふれば神も我なり。我も神なりとの思ひに至る時我を造りたる神にかへるはこれ又当然なりとの結論も得るならん。我を小さくしてせまき範囲にて生活をなし居らばその範囲よりぬけ出づることあたはず。故に苦しみ悶へて果は我儘気儘の心を起すに至るも是即ち我を知らざるによってなり。されば我と云ふは唯言葉にすぎず。汝の有する姓名は汝の姿の存在を知らしむる一つの目標にすぎざることを深く考へて我と云ふ空なるものを広く高くして全宇宙に同化する我とならん事を行ぜよと我等は勧むるものなり。
 貴尊方が仰せられし如く世人は我ありて我を知らずと仰せられしは是なり。世人は余りに我と云ふものを小さく評価して、我を狭隘なる蔭に押し込めて我をはたらかせざるが故に、かかるあやまてる行動をなし居るは帰する処我と云ふ大なるものを認識なし居らざる故なり。狭隘なる蔭に身を縮めてひそかに事をなすはこれ罪を重ぬるにすぎず。狭隘なる蔭より早く光明の世界にをどり出でて活躍せば我は無限大にはたらく力を神より受け居ることを認識するに至らん。小我をすてて大我を知れとは是を云ふなり。汝等あまりに小我にのみ囚はれて大我を知らず。故に我慾我情我見に囚はれて身動きならぬ日常を生活なし居る不愍 (ふびん)さよと、貴尊方があはれみの心より救ひの手をのばして我慾我情我見の心をすてしめんとはかり居らるることを深く感謝せざるべからず。我慾我情我見は小さし。すべて宇宙は我なりとの大我を得ばかかる心は起らざるべし。世人は隣家の不幸を見て同情の心を以て接すれど、一国の危難に遭遇して是に同情の心を起す事の薄きは、即ち小さき枠の中に身をひそめ居る証拠なれば早く此枠より修養の門を開らきて一路邁進せん事を望む。

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