覚者慈音1443  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一    インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1443
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.23
第二十  精神信仰について


 精神信仰の中には種々様々異りたるありて是を一様に論ずるは至難なり。されど是を大別すれば自然信仰或は迷信信仰或は正信信仰の三種に区分する事を得。自然信仰とは泰岳の如き幼児より何かは知らず己に宿り居りて拝みをなし居たる如き底の部類に属し、迷信信仰とは錯覚より来る信仰に属す。然して正信信仰とは見聞信仰より順次向上して得たるを云ふにて肉体信仰とはその趣き従つて異なるなり。
 先づ自然信仰の部類より説明すれば幼児より生じたるものは大抵の場合その父母の信仰がそなはり居りて得たると、或は因縁的より生ずるものとの二種あり、父母より伝はりたるを胎教信仰と名づけ、神より移されたるを神霊信仰と云ふなり。胎教信仰には中途挫折すること多し。然るに神霊より授かりたる信仰はその人肉体の有する間何か世に処するところありての信仰なれば最も重大なる任務を架せられ居る人に多し。是等の信者は肉体の如何に不拘おぼろげながら神を知り居る人にして所謂先天的なれば、他より如何に神の有無を説かるるとも決して信仰を変ずるものにあらず。然しながら父母より授りたる胎教信仰は或時は影をひそめ或時は面に現はるる故に是を鑑別するには、是等の事柄より推測して胎教か或は神霊かの事柄を推知する事を得るなり。何れにもあれ此種の信仰は尊し。此種の因果論は後に語る事として次に迷信信仰について語らん。

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