覚者慈音1436  未知日記 第九巻  因果論  人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1436
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.20
第十六  原因なくんば結果なし


 身心一体となりたる因果の理に重きをおきて考ふれば悪因善果に改めしむること不可能にはあらざるべし。世人の云ふ悪因悪果善因善果とは唯表面の理論にて修養修行の力なき人にのみ応用さるれど、智慧そなはらば悪因善果に化せしむること敢て至難にはあらざるなり。世人の悩みは悉く肉体的なるに依て智慧すぐれたる人ならば、是を明らめしむる方法は難かしき事にてはあらず。現今の如く混乱したる世相にはこの悩み深刻にして、為に天日を暗くし白昼も暗黒の如く安らかに日をすぐすこと難きも、是原因結果の法則を認識なし居らざる所以なる事は我等よく是を知る。例へば日本の現在の如き浮浪児の多く集りてよからぬ行為をなし居るを世人は是を改めしめんと計り居れど、是を善道に導かんとせば先づ汝等自らの行為を先に改めて汝等の行為を慎み、然して後に是を導かば忽ちその行為は正しくならん。己悪行をなして小児に善行せよと教ふるも決して小児の行動は改まるものにあらず。強制的或は抑圧的に小児は屈服したる如く見ゆるのみにして、事実は決して改めしむる事あたはざるは火を賭るよりも明らかなり。依て小児を導かんには先づ己等善道に入りての後にあらざれば将来の世の中は益々混乱して名伏すべからざる悪結果に終るは当然なるべし。是を一言詞するならば他を導かんとせば己を先にせよと云ふなり。是原因を知りたるが故に結果に及ぶ方法なれば、兎角原因をたしかめて然して後其が如何に変化し行くかを考察し見ば、従って結果の判明する道理を語りたるなりと知りて修養せんことを望む。

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