覚者慈音1434  未知日記 第九巻  因果論  人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1434
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.19
 第十五  原因ははたして知る事を得るや


  組織か破壊か破壊か組織かに迷はさるる事多かるべし。瓜を茄子に変ぜしめるも是破壊の一路を辿るに他ならず。又是を反対に考ふれば組織より組織へと進みたる結果とも見らるるならん。現在を基礎にして世を明るくせよと云ひしは是なり。過去を知らんと計るも未来を知らんと考ふるも其は悉く現在に他ならず。汝の姿は過去にもあらず。未来にもあらざるなり。現在と考ふる故に過去と未来を考ふる如き心持ちを抱くに他ならず。
 汝の魂は今汝の脳裡をふらふらとさ迷ひ居る迄ならん。其は唯肉体と云ふ機械に依て動かされ居るにすぎざるなり。汝の心は汝にのみ動き居れど他のものの外より見る時其動きが如何に動じ居るかは知るものすくなからん。汝の肉体亡びなば機械は停止してその心を動かす動力なきに至らばその後は何処にてはたらくかは又知る人もあらざるならん。
 されば原因をさぐるには肉体的原因と精神的原因との二種に区分して考究せざるべからず。肉体の因果は一代にて亡ぶれど精神因果は際限なからん。苦悶苦痛と云ひ或は喜び楽しむと云ふは肉体ありての事か。斯る短かき時間の間ならば其は何かの方法に依て苦を楽に樂を苦に変ぜしむる術あらん。是を精神の因果にて観察せんとならば是を種々自在に意の如く転換せしむる法は如何にすべきか。精神的因果の理をきはめんとせば容易の修養にては目的を達すること至難して且つ、又因果の理を明らかにきはむることも困難なり。世人の望みは肉体を存する一代の因果を重大視して其が目的を達する法のみ得らるるならば其にて事足ると思ひ居る事と我は承知す。故に世人の考へと我等の語るところとには誤差を生じ為に世人の心底に感受せしむるに思ひ煩ふなり。次に語るところをよく翫味して原因は果して認識することを得るやを考へ見るべし。

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