覚者慈音1428  未知日記 第九巻  因果論  人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1428
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.18
 第十四  音の種類、音の区別


 宇宙全土は空を源として現出なしたりとせば原因はすべて空に帰せしむる道理あらん。すべては音なりと語りしは是なり。動ずれば音を生じその音の働きが次第に増大して結合し結合しては更に有形のものを作り出すに至りたる理論も亦察するを得るならん。斯くして音の数よりすべてのものが現出なし、是が時間によって或は増大し、或は減少して更に各種の異なれるものを次第に連続発生するに至りたる事と知るならば是を逆上って原因に帰らしむるならば即ち空となる。その空を次第に逆上って観察すれば其は一個のはたらき、そのはたらきの力は音に帰せしめて可ならん。その一個のはたらき、一個の音響(ひびき)こそ、是即ち宇宙の原因結果の根本なるべし。いささか理屈めきたる説明にて是を認識するは至難なるべし。よって是を認識せしめんが為にその微々たる一個の動音を基音として、此音に対して一つの名称を与へ、其を順八逆六の法によって案出なしたるは、即ち楽音の妙とも知らば可ならん。音楽にては唯楽音として十二に分ちて諸々の曲を奏し居れど其は唯形にすぎず。現今の如き音楽は是又娯楽にすぎざるなり。かかる遊戯的或は娯楽的のものならば音楽の大切なる真理をきはむる事あたはずして永久娯楽遊戯に終らん。遊戯的音楽を音楽として唯疲れを癒す薬石の如く観察なし居らば音の大切なる原理を認識把握する力は永久そなはらざるべし。世人は日常の生活を音によってって営み居ることを知らずして、音と云へば楽器に移されたる一部にのみ心を置きて、朝に夕に奉づる如きことを心の慰安の用具として、是を別個のものの如く取り扱ひ居るは音楽の一大事を知らざる故なり。日々の生活は音によって持続なし居るにて是を様々に区別して考へ見よ。
 人と人との交はりも皆音によって持続なし居るにて、其は音楽を用ゆるにあらねど帰するところは騒音の部類に属す。音の種類には有形の音と無形の音に大別して観察せばすべての事柄は明瞭とならん。空気中にありても種々様々の化合物がはたらき居て、その化合物の力が動植物を養成するはたらきとなり居るも是みな音の力なり。是等を無形の音と云ふ。無形の音の中には静の動作、動のはたらきの二種あり。

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