覚者慈音1427  未知日記 第九巻  因果論  人身篇一  インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1427
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.18
 第十四  音の種類、音の区別


 先にも語りし如く原因も音なり。結果も音なりと云ひしは是なり。我等が世人に講話なし居るも音なり。所謂声も音なればなり。文字も音なり。そは眼より聞く音にして其によつて楽音の如何を判別するその心も亦音なり。故に音ならざるもの一としてあらず。空(くう)と云ふも亦音なり。世人は形あるものにのみ囚はれて形なきところに大なる形を有するものの潜在しあることに思ひを致さざるが故に真理をきはむる事を得ざるなり。或人曰く、一に一を加へて二なりと思ふはあやまりにて一に一を加へ又一をと如何に加ふるとも其は一にすぎず、汝等此理を知るかと云ひしを我等は聞きたり。一に一を加へて二、また加へて三、又加へて四との問ひならば誰もが知るところ、然るに一に一を如何に加ふるとも一なりとの理を知ることは一般人には不可能ならん。算数に於て計算せば加れば数は増し減ずれば減ず。然るに大河は源は一滴の水が唯重なり居れど末流に至ればみずとして一二の区別明らかならねば即ち一の水なり。一滴の水も大河の水も水と云ふ一個の数に他ならず。源も水なり。末流も水なり。是は汝等の世界には理窟にして道理に合はざれば如何に説明せらるるとも是を正しとは考へざるべし。されど天界に至っては此説は決して理屈にあらず。故に数学に於て世人の世界と天界とにはかくも相違あることを知らざるべからず。一つの音律の波を聞きてその波長の振動が何百何千なりと計算するにはその波を計る計算器によらざるべからず。是を肉耳に聞きてその振動数を計るには又算数にあらざるべからず。波長が何千何百とか云へる数を分解して是をその何千何百分の一に帰せしむるならば、その一の振動数は何処より起り如何なる振動をなすかについて考察せば何千何百分の一とその何千何百の数との調和は如何にと是を知らしむることを得るや。是を電気分解によつてその一個を撮影し其を眼によつて観察することは至難にはあらねど是を拡大してそのままを耳に通ぜしむることは世人の世界には未だ完成なし居らざるべし。されど我等はその何千何百分の一振動数を明らかに聞く力を有す。此力を有せずば宇宙を観測する力量は具備ざるが故なり。世人には八以下の振動数を聞くことあたはず、又二万三万以上の振動数を聞くことあたはざる不自由なる肉耳にてはあらざるか。肉耳は斯くも不便なり。故に神耳を開かずば一以下の振動数或は何千万以上の振動数を聞くことは得がたし。

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