覚者慈音1426  未知日記 第九巻  因果論  人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1426
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.17
 第十四  音の種類、音の区別


 音には楽音と騒音の二種の区別あることは誰も知るところ、されどすべての事柄がみな悉く音なりとの理は未だ知らざる人が多からん。原因と云ふも結果と云ふもみな悉く音にして我等に云はしむれば音ならざるもの一としてあらざるなり。耳に聞えず眼に触れぬ無形の音が汝等の心に感じ来るは是即ち音にして是を音楽的にも亦他の方法に依て感受すること難きにあらず。是が無形のものを無形に感受して然して其が何なるかを知る迄には或一定の法則に従はずば知ることを得ざるなり。故に是を知るには何かの教へを受けてその教へに従はずば得ること難し。宗教者の云ふ因縁と一言に説きて是にて終らしむるならば、すべて世の中の理を知るに由なし。因縁にも何かの因縁ありてその因縁を仔細に追究なし行かば必ずやそこに因縁の種子は発見せらるるは理なるべし。然る時は原因を知ると共に結果も明らかとなるの理も亦難きにはあらざるべし。例へばわづか一部にすぎざる音楽に於てすら大律大呂小律小呂の区別より観察するとき先づ十二律に依て大別観察する時、一より生じたる調を音楽にて一越調とか或は断金調或は平調調として、此曲は一越調、此曲は断金調、此曲は平調調と云ふ如く曲に於てすら一様ならざるべし。さりながらその曲の根底は一越或は断金或は平調の原因ありて結果も亦一越断金平調至って終りとなり居る如く人生も此人は一ニ三四等々の原因によって生れたりとせばその経路は如何に変化なし居るとも最後は一ニ三四の結果に終るは明らかなるべし。然るに一の原因に相当するものが経路に於て様々変化を来して或は八、或は六の結果に終ることも亦考へざるべからず。もし一の原因に生れるものが結果に於て五に終らばその人は変曲の結果に終りたるにて使命を全うしたりとは云ひ難しと考ふれば音律の如何に大切なるかを知ることを得るならん。音楽の大切なことは是に依て見るも明らかなるべし。音楽はわづかにその一毛にすぎず。音楽を知りてそれを原因として大なる結果に及ぶ音の理を知るにあらざれば真の音楽家とは云はれざるなり。世の中に優れたる音楽家が大悟徹底する力を備へて臨終を全うせし人は古今少なからず。是等はみな音によりてすべてを知り得たる大人(たいじん)なるべし。宗教家ならずとも音楽家にも大悟は得らるる道理あるなり。内耳にては聞えざる音楽を聞き得る力なくんば大悟は得難し。聞えざるものを聞き、見えざる音を見るにあらずんば其は真の音楽家にはあらずと云ふも過言にはあらざるなり。我に云はしむれば天の声を聞き地の音を聞きて是に依て道を歩めよと奨むるものなり。



「円海大師の言葉」
今こだま会日誌を見ていたら次の言葉を見つけた
石油音楽は空気の音楽。霊気(デンキ)音楽は霊気の音楽。
空気の振動ばかりを考へて居て霊気の振動を考へない。
石油音楽、音楽家の音楽。機械的音楽。
空気音楽(石油音楽)だけではだめだから、これに霊的音楽の十二律がなければならぬ。
これらをはかる法が易学。
電気音楽をききかけてベートーヴェンは死んだ。彼の若年は石油音楽の大家。
死ぬ前になって電気音楽入りかけて居た。

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