覚者慈音1424  未知日記 第九巻  因果論  人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1424
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.17
 第十三  易について六時の関係


 四律の法とはかくの如きものを云ふにて是は律の法なり。是と反対に用ゆるを呂の法と云ふなり。故に四律あらば四呂もあるなり。呂律一体化して初めてすべては成就す。然らざれば不結果に終る。此理は世人にはむづかしくして容易に理解する事は難からんと思へど序でなれば語りをくこととせり。前巻二十五冊を読みたる人にして此理を知ることあたはずば、其は書を見たるのみにて読みたりとは云ひ難し。よくよく読みて此理を解する力を養はれんことを切に望むものなり。
 セイキョウ貴尊の仰せられたる四律の法則即ち破壊分解融和組織は此四律に比較して観察せば容易にその理は察するを得るならん。もとより現在の科学に適用して考察するも何等根拠なきことと世人は考ふるならん。世の中のすべてを科学的に証明するにはみな其々の事柄に対して根底より理論的に或は数学的に計算して是を事実に照合はせて証明せざれば、真をおくに足らずとは云へその論理を正しくせんが為には何かある一定のものを発見して、其を細かに分類して結合構成するにあらざれば成立するものにあらず。我等世人に科学を教へんとするにあらねば一個の事柄にのみ囚はれ居りては全般に通じての論理を明確に陳述すること難ければその大意を万般にわたりて述ぶるにすぎざることは是非なし。
 科学するものに於ても破壊分解融和組織の法則によらざれば理を明らかにすること難からん。然りとせば全宇宙全体の真理を究むるには先づ此四律の法則に従はずば目的は達し難からん。四律の法則を先に語りし運命四律の法則に合はせて考へ見るも亦無意味にはあらざるべし。肉体のわづらひは薬石にまかせ神経のわづらひは教へにまかせ運命開拓は法にまかせ、唯天寿のみは神に従ふの他なかるべし。
 六時の配置に関して斯る事柄を述ぶるは何故かを推考し見るべし。易は無形のものを有形化せしめて容易に明らかならしめんが為の方便に作られたるにすぎず。所謂無言詞より有言詞に導く一つの手段の現はれにすぎざるなり。されば根拠明らかならざる事柄を強いて明らかならしめんが為の手段にて、凡ては是によつて物理をきはめしむる事は難し。世の中には天理に合ふ事と又理外の理と云ふ事も考へざるべからず。さりながら易は凡て根拠を知るにて、唯根拠の理を究むるに用いなば易は決して誤ちを教ゆる学問にはあらざる事と承知せよ。俗にあたるも八卦あたらぬ八卦と云ふ是等の理を云ひたるものならん。余事は別として世人がもし数学によりて一日の時を知るあたはずば一日は唯明暗の区別と考ふるの他なかるべし。是に数をあたへたる為に一日の区を定むる目標と知るならば数は即ち一つの方便に過ぎざるならん。


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