覚者慈音1420  未知日記 第九巻  因果論  人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1420
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.16
 第十二  陽数と陰数の関係


 前篇テツシン講録に於て我、易の事柄についていささか語りをきしが今ここにその一部を再記して是に依て説明なさんとす。詳細を知りたければ講録を参照せば可ならん。もとより陰と云ひ陽と云ふは是方便の言葉にして陰とは暗を、陽とは明を指すにすぎず。明暗即ち歩みの如し。一歩進めば一歩はをくる。即ち前後も亦陰陽呂律の関係ある事も推して知りをかば可なり。数のうち一は絶対数にして陰ともなり又陽ともなる故に是を何れとして定むることを得ず。即ち陰陽一体となりて一の数を現はしあるに依てなり。一より分れたる二は是陰陽両道にまたがる故に一方陽なれば一方は陰に位す。此二の数を加ふればその数は三となる。三は二分することを得ず。よし是を二分するとも一方は一となり一方は二となる。此時一は律に、二は呂の関係よりはかる時一は陽となり、二は陰となる。かく数に依て定められたるは易の大意にして是に依て凡てを計らんとなしたるにすぎず。されば易はすべての理を知らしむるに数を以て現はしたるは唯方便にして是に依てものを計る尺度となさばそは大なる誤ちを生ず。唯易の理を知らしむるに便なる数を用いたるにすぎざれば学者是を諒として学ばば可なり。もとより時間空間を有する相対世界にありては数の重要なるは云ふ迄もなからん。然して是がすべてを数に換算して物の理をきはめんとするは容易の事にあらず。
 余事は兎に角一は絶対数二は陰陽三は陰陽を作る原数として用いる時、四は二の自乗数にして最小の数なり。三の自乗は九にして是即ち最大数となる事は誰もが知る処、故に最小数四を陰数の極点数となし九の最大数を陽の極点となして是を広く取り扱ふに至りたるなり。然して此二と三は四と九に通ふ数なれば是を四と九にまかせて用いず、又一は絶対数なるによつて用いず。然して二と三の数は六に通ふ。即ち二三が六なれば六の中には二と三の集れる姿なるに依て是を陰の中間数と定め、易には陰の爻(こう)として使用なし居ることも既に説明なしをきたれば、世人は承知なし居るならん。故に二の数三の数は用いずとも四六九に己の持てる分度を任せあるに依て是を時のめぐりに使用せざる事も推して知ることを得るならん。是はこじつけの論説の如く思はるれど仔細に検討せば、そこに真理のあることを発見するならんと思ふなり。是等に関しては後に追々語るべし。されど此項目には是にて止めて話を先に進むることとせん。六時(むとき)を九より四にかへらしめしは即ち九は陽にして天を現はし、四は陰にして地を現はす。故に人間の世界は天より下されたるが故に九より四にむけたるは即ち天より地に下りたる姿を現はしたるにて所謂天より地に下されしことを教へんがために斯る比喩を以てせしことを承知せば可なり。

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