覚者慈音1419  未知日記 第九巻  因果論  人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義



覚者慈音1419
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.15
 第十一  陰陽呂律十二の旋りかたについての説明


 次に前図第三に見る如く一よりはじまり六に至って終り、更に七よりはじまり十二に終りあるこの事柄に関して聊か語るの要あり。前に語りし六と一は順八なれど、一と六は逆六の関係となる。されど音は共和なし居るなり。七と十二も同様と知るべし。されば十二と一の間は無となり、又六と七との間は無となり居れり。易にては是を六時に現はし陽数の九より陰数の四に終らしめ居れるを見ば明らかにその理を悟ることを得ん。九は陽の頂点にして四は陰の頂点なり。即ち十二の陽数と一の呂の間より計算して九八七六五四と算ふれば六の呂にて終りとなり、六の呂より七の律に至る間を即ち無の九に帰り又八九十十一十二の律に至って尽き居れり。是を陰陽分離の零無と称し居るなり。是には特に古来より秘伝口伝と称して容易に門弟に許さざるが故に誰も一様に知る人すくなし。何故に是を許さざるかと疑ふ人も多からん。是には深き意味有す。そは他ならず。魔法魔術の真意はここに存するが故に、是を伝へなば其に依て悪き方向に是を用いることの危険なるに依て是を許さざるなり。唯陰陽の分岐点は零無なりとのみ教へて他の事は明らかに教へず秘し居るも斯る処に大なる意味の含まれある故なりと知るべし。陽の九より陰の四にて又陰の四より陽の九にかへらしむるならば一二三の数は消滅すとの疑ひは生ずるならん。その一二三の三つの数を零無となさしむるが故にそこにある種の疑ひを生ずるも理なきに あらず。我も最初は世人と同様の考へにて六時を現はすに何故一より六に至らしめざりしかと疑ひ居りしものにて別段陽数の九より逆に四に至らしめずとも可ならんにと思ひ居りしが、真の理を学びてはじめて斯くありしかと悟りしなり。一より六に至らしむれば一と六は順逆の関係ありて四と九の関係も同様なれば敢て中途よりかかる事をなす必要もあらざるにと疑ひしは世人の思ひと同様なりし。されどよく考へ見るべし。一はもののはじまりを現はし九は物の尽るを現はす。一より出でて六に終らば其は全く終りしにあらずとは云へ、九より逆にかへりて四に至りて終らしむるも亦理には合はざるべし。然らば何れを是とも何れを非とするやに迷ふならん。ものの順序はかくも誤ちたること多し。一より順に上りて九に至りて終り、更に九よりかへって一に帰するならば其は正しき順序なるに不拘四より九に、九より四にかへるとは是正しき法則にはあらじと思ふは誰の心にも同様ならん。是には深き意味を存す。故に是等の道理を正しく知るにあらざればすべての理を究むることは至難なるべし。依て許されたる範囲に於て是が説明を試みんとす。されど是を学びて不善を企つる人の多ければ或一定の限度迄は語ることを許さるれど其以上は秘伝に属するが故に学者は教主の説かれたる秘伝書を読むことを許されなば其によって学べし。

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