覚者慈音1418  未知日記 第九巻  因果論 人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1418
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.15
 第十一  陰陽呂律十二の旋りかたについての説明


 四季に於て春は四月秋は十月是春秋の頂点を現はしたるが故に斯く説かれたるなり。是を方位にて現はせば東即ち日の頭と云ふは、頂点を云ふ故に勝絶四に位す。是を半呂半律として現はし、西日沈むところ即ち十磐渉を現はして是を半律半呂と名づけたるなり。西は易にて兌(だ)なれば喜びと悲しみの両方面に通ず故に半律半呂と云ふなり。日の頭は易にて震(しん)に相当するが故に是悲しみと喜びに通ず故に半呂半律の意に合はしめたるなり。是はテツシン講録に於て我、易の事に関して述べたるを参照せられたし。即ち十月は
兌為沢(だいたく)の卦にして四月は乾為天(けんいてん)の卦なる事はテツシン講録に於て語りしと記憶し居るなり。然らば一月と七月或は一月と八月或は一月と六月の関係も是ㇻの易より参照せらるれば理は明らかとならんと思ふなり。其は別として冬にも半律半呂夏にも同様の関係ある事も推して知ることを得ん。何となれば一四七十は単数にして四季春夏秋冬に相当し又東西南北に相当す。ここに図を作りて示めさん。
 此図に見る如く十の半律半呂より四の半呂半律に至る迄一方は十一十二の律一呂二三律となり、又四の半呂半律より一方五六の呂七の律八九の呂となり居るを方位にて説明せば、一の単数即ち北二三の複数はうしとら四の半呂半律は(東西の単数)五六の複数たつみは呂、七の単数律は南八九の複数ひつじは申(さる)は呂、十の単数西は半律半呂十一十二の複数乾は律となり居ることをよくよく記憶しおくべし。是を四季にて現はせば一は冬の頂点、七は夏の頂点と見なして考察する時、 秋の頂点より次第に寒冷となりて律の体を現はしつつ冬に至って純呂と化し、更に二三の律を経て半呂半律の春の頂点より次第に呂と変り、七月の夏の律を経て更に八九の呂と移り変りて秋に至って又変化の度をすごすに至る。是等の理より推理せば人体はもとよりすべての事柄に対しての経路は従って判明することを得ん。
 大凡ものには順序ありて是に従へば結果は意の如くなり。是に反せば不結果に終る。冬の頂点は呂、夏の頂点は律となり居れど是にも半呂半律の意味はあるなり。されど是を用いざるは何故かと云ふに冬の頂点又夏の頂点は枝葉にして終始の定めあらざるが故なり。所謂道に南北の祖なしの言葉の如し。地球は東西に廻転すれど南北には廻転せざる故なり。太陽はうしとらより東に出でたつみにめぐりて乾に通じ、然して西におさまるとの意味を知らしめんが為の方便なるべし。地球の廻転は東西に一路をたどるにあらず。是は地球儀を参照せば明らかに知ることを得るならん。


googleより


易経は全部で六十四の卦で構成されています。「卦(か)」というのはある時の様相をあらわし、人生で遭遇するであろう、あらゆる時を示しています。易の特徴は、陰陽六本の爻で示された卦の記号(象)があり、そのかたちから読みとった時の様相が辞で記されていることです。


六十四卦の象の成り立ちは、まず八卦太極図を見てください。


易経に「この故に易に太極あり。これ両儀を生ず。 両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず。」(繋辞上伝)とあります。
太極から陰陽二つにわかれ、次に四つ象(老陽・少陽・老陰・少陰)にわかれ、さらに分裂して三本の爻からなる八種類の象(八卦)になります。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と耳にしたことがある でしょう。古代の原型的な易占いはこの八卦で判断していました。


八卦には、「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」(けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん)の名まえがついています。これらの性質を自然現象にたとえると、「天・沢・火・雷・風・水・山・地」 (てん・たく・か・らい・ふう・すい・さん・ち)になります。それぞれが象徴する属性、性質があります。占いでは、この属性を参考に時・処・位を読みとっていきます。

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