覚者慈音1417  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1416
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.14
 第十一  陰陽呂律十二の旋りかたについての説明


 次に第三図に見る如く一より生じて線は下方に向いて進み六にて終る。是即ち呂のめぐりにて更に七より上方に上りて十二に終る。是律の姿なり。即ち一の呂より六の呂に通じ又一方七の律より十二の律に通ずるめぐりを見ばこの理もうなずく処あるならん。先に語りし如く陽に相当する光が陽のめぐりをなす時、気に相当する音が呂に向ふと云ひしは此理にして是と反対に陰の気が陰に向ふとき陽の光が陽に向ふ理も亦察する事を得るならん。音のめぐりが陰ならば光のめぐりが陽となり、光のめぐりが陰ならば音のめぐりは陽となり、ここにはじめて陰陽調和なし居る為に十二律には十二呂あり、更に十二呂には十二律の関係となるによってここに二十四の律呂成立なしてすべてに通ずると知らば可なり。是等の理を他に比較して説明せずば世人にはその意を諒する事難からん。
 例へば午前一時より十時迄を光が陽に働くと考ふれば、其に対して気体は次第に低下なす故に是は呂となる。然るに正午より光は次第に陰に向ふならば気体は反対に律となるに依て是は律の姿となると同様の関係と知らば可なり。是等は順次他の事柄にたとえて話を進むべし。是に依て考ふればすべては明らかとならん。
 音律の順八逆六と称するも是は音程に於て同様の関係なれど、順八は律と見なし逆六を呂と見なして説明なし居るにすぎざるなり。即ち順八とは律を現はし逆六とは呂を現はすに依てなり。例へば一より順に算へて八に至るは律にすぎざるなり。即ち順八とは律を現はし逆六とは呂を現はすに依てなり。例へば一より順に算へて八に至るは律にして、一より逆に十二、十一、十、九、八と算ふるは是反対にして即ち同様の音程となる理を認識せば可なり。故に一と六との関係も六より一に順次算ふれば即ち七八九十十一十二一となりて順八なれど、六より逆に五四三二一と算ふれば逆六にして是も一八の関係と同様なりと知らば可なり。故に一と六、一と八とは是共に和する音なり。是等を他の音に区別するもみな同様にして二と七、二と九の関係も推して知ることを得るならん。音はあみの目の如く相互に通ずるが故に全く別個の如く考へらるるも音も是を順次追ふて考察する時はみな無関係と云ふものあらざる事も推して知ることを得ん。是を因縁関係と云ふなり。先に語りたる瓜のつるに茄子を実らしめしとて敢て不思議にはあらざるなり。瓜を一とし茄子を八と仮定せば即ち順八に相当するが故に相生したる結果と考ふれば敢て不審するに足らざるならん。是等は後の話として今少し音程について知りおく必要あらん。先に語りし半律半呂秋の調と云ひしことに依て此音程を四季にたとえて考ふる時半律半呂秋、即ち磐渉とあるは磐渉は音律十番目の名称なるが故にかくは説きたり。されば四は音律の名称にて勝絶と云ふ。是は先の第二図に見る如く四は半呂半律となり居れり。故に半呂半律春の調即ち勝絶なりとも説かれたるなり。(日本の書物には此説明はあらざるなり)

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