覚者慈音1416  未知日記 第九巻  因果論  人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1416
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.13
 第十一  陰陽呂律十二の旋りかたについての説明


この図は声明音楽の秘伝口伝にて是を公にすることを許さざりし為唯学者の参考として記憶に止めたるため世に残存なし居らざるは遺憾なり。是を詳細に知らんとなすも今は甲斐なし。我是を詳細に伝ふることは易けれどもここにはその必要なければ唯その大要を示めして参考となすに止むべし。学者諒として聞くべし。先づ一図より説明なさん。
 一より八を生じたるは是上より下方に向いたるが故に呂より呂に通じて是を呂の形と云ふ。次に八より三を生じたるはその線平行して逆に六度をかへしたる平線なるが故に呂は律を生みたるが故に三は律となりて生じ、更に三より十に至るは下方より上方に向いたる故に三と十は律となりて生じたるなり。然して十より更に五に下りしは是呂の逆六なるが故に五は呂となりて現はれ、又五の呂より十二に至るは順八の上方線なるが故に十二は律となりてここに六個の半数は構成なしたるなり。これを順次計算する時一呂三律五呂八呂十律十二律となる故に三個の呂と三個の律に分れて楽音は演奏せらるる曲となる。是を音楽家は上(かみ)の六音と称し居るなり。上(かみ)とは即ち律を意味し又陽を意味するなり。是を五音律に於て見る時、宮を一とし商を三角を五微八羽十と配置すれば一呂三律五呂八呂十律にして宮と微は十八なるが故に呂に合い、商羽は三と十なれば是律にかなふ。然して角は五の呂にかなふが故に是を呂旋方と命名けあることもうなづき知ることを得るならん。又是等について律の旋方を格にって定めあることは音楽家のよく知るところなれば是は省略すべし。ここには其等に関しての必要なければなり。但し音楽に於て半律半呂秋の調べ即ち磐渉なりとあるに対してその意味を知らざる人多し。磐渉は十の数なり。十より五が生れたるが故に十は律と呂の二方にわたりあるに依て律の頂点より更に五の呂に向ふが故に是には二個の関係ありて半律半呂と云ふなり。此理は後に因果の道理を知るに必要なればよくよく覚えおくの要あり。依て注意しおくべし。次に第二の図に見る如く上の六音終りて更に十二の律は七の律を生む。七は更にニを生む。故に七より二に至るは下るにあらずして図に見る如く線は上り居る如く、律は律を生みたるなり。是によって見る時第一図に於ては一の呂が八の呂を生みたるとは反対に七の律はニの律を生みたり。所謂反対の法則となり居ることに留意せざるべからず。次に二の律より平行して九を生みたるは第一の図と反対にして律より呂を生みたる事を知らざるべからず。九より下って四に至るは云ふ迄もなく呂より呂を生じたる故に、呂は呂を生みたるにて是も一図とは反対の姿となり居れり。又四呂より十一へ上り居る線は恰も十と同様なるが故に半呂半律より律を生じたるにて是も一図とは全く反対の姿を現はし更に十一律より六に下る。是も一図とは全くの反対なれば此六音、是を順次算ふれば七九十一十二四六となるにて、即ち七律九呂十一律二律四呂六呂にして是も三個づつの律呂となり居れどその姿は一図とは全く反対におかれたり。故に是を下の六音即ち陽呂の音と称へ居るなり。是が全音十二が交はりて陰陽呂律はここに全きはたらきとなることを知りをかば其にて可なり。されど音楽家にあらざる初心者には是を知ること難からん。音楽家にありても声明音楽の極意をきはめたる人ならでは容易に理解しあたはざることもあり。故に是等を世人に知らしめんが為に此事柄を他の方向にむけて説明することとせん。今暫く三図の説明終る迄唯かかるもののあるかとのみにてもよし、唯読みて知りおかば自づとその意味をくみとる事を得るならんと信ず。故に二度三度よみかへし唯数の関係のみ知りをかば可なり。

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