覚者慈音1415  未知日記 第九巻  因果論 人身篇一   インショウ、ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1415
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.13
 第十  陰陽呂律の法則


 声明音楽の秘伝書に於て是等を詳しく説明なしあれど真の意味は秘伝口伝として伝へられざるを我等遺憾に思ふが故に此書於てこれを説くの必要に迫られたればいささか大意を説きて参考とせん。学者これを諒とせよ。前にも語りし如く音楽の律呂の法則より先づ語らん。即ち順八逆六の配置は一より順にかぞへて八を生ず。故に一は八を生むに等しく八は逆に六度かへりて三を生む、故に八は三の親なり。此関係より順次現はせば一より八、八より三、三より十、十より五、五より十二、是を陽の六と云ふ。即ち一三五八十十二の六個なり。次に十二より七を生むが故に陽のはじまりは七より生ず。是を順次計算せば七より二を生み、二より九。九より四、四より十一、十一より六となりて終る。是を陰の六と云ふ。即ち二四六七九十一の六個にして七は其等の母なり。是を陰の六。然して一より現はしたる陽の六個と和して十二律ともなり、又十二呂ともなる。故に陰陽呂律合体して二十四の数は是によつて現はされたるなりと知らば可なり。此関係を詳はしく知るにあらざれば原因結果の間に有する経路因果の法を探求すること至難なれば、次に図面を現はし其によつて説明を進むることとせん。



未知日記概要


行法秘伝    昭和十九年九月二十五日~


未知日記    昭和十九年
感応論     昭和十九年十二月十一日~同年四月十九日       四ヶ月間
光明論 上   昭和二十年 四月二十日~二十一年一月十日      十ヶ月間
光明論 下   昭和二十一年一月十一日~二十一年九月二十六日    九ヶ月間
テッシン講録  昭和二十一年九月二十八日~昭和二十二年四月二十三日 八ヶ月間
三世と四世論  昭和二十二年五月二十五日~昭和二十三年七月三十日  十五ヶ月間


因果論     昭和二十三年      ~昭和二十四年六月 七日  十一ヶ月間
帰途案内記   昭和二十四年六月二十八日~昭和二十五年一月 六日  七ヶ月間
絶対界     昭和二十五年一月十六日 ~昭和二十五年八月 二日  七ヶ月間
大霊界     昭和二十六年一月四日  ~昭和二十六年十月十五日  十ヶ月間
大霊界附録   昭和二十六年~不明
こだま会日誌  昭和二十四年一月十六日~昭和二十七年十二月二十三日  四年間
     
未知日記講義概要



未知日記一巻   自在論  セイキョウ貴尊           三十九頁 
   々二巻   行法   テッシン貴尊            二十五頁
   々三巻   念力集  暗の巻  セイキョウ貴尊      五十頁 
              光の巻   テッシン貴尊
              喜悦の巻  ミキョウ貴尊 
              安楽の巻  セイキョウ貴尊
   々四巻        心霊雑話  セイキョウ貴尊     四十三頁



感応論       平心の巻  テッシン貴尊  百六十頁
              鏡心の巻    々
              放心の巻    々
              応心の巻    々
              終結篇 上下巻 々



光明論上巻   光明論  教主寛大 セイキョウ貴尊五十一頁
        明鏡篇その一    テッシン貴尊 五十五頁
        明鏡篇その二.三    教主、テッシン貴尊五十五頁
              明鏡篇その四 教主  四十七頁
              明鏡篇その五 教主  五十二頁



光明論下巻        悟道篇上 セイキョウ貴尊五十一頁
             悟道篇下 セイキョウ貴尊五十一頁
             大悟録上 テッシン貴尊 五十七頁
             大悟録下 テッシン貴尊 五十三頁
              完結篇   教主   五十二頁
     
テツシン講録        壱の巻 テッシン貴尊 六十二頁
              弐の巻 セイキョウ貴尊五十八頁
              参の巻 ミキョウ貴尊 五十八頁
              四の巻 ミキョウ貴尊 五十頁



三世と四世論  過去の巻 セイキョウ貴尊五十七頁                                        現在の巻         ミキョウ貴尊 五十九頁
未来の巻      セイキョウ貴尊   五十六頁
来世の巻      セイキョウ貴尊   五十八頁



因果論           人身篇その一    ミキョウ貴尊    参百二十七頁
              人身篇その二      々
              心霊篇その一      々
              心霊篇その二      々



帰途案内記    大序の巻  セイキョウ貴尊   三百四頁
         転界の巻        々
         上界の巻        々
         最終の巻        々



絶対界           絶対界その一    テッシン貴尊    二百八十四頁
              絶対界その二      々
              絶対界その三      々



大霊界           大霊界その一    教主寛大      参百八十八頁
              大霊界その二      々
              大霊界その三      々
              大霊界その四      々
              大霊界その五      々



別冊            こだま会日誌     円海大師と泰岳大師 四百三十頁
              筆記者  坂本通博
註 
 ミキョウ貴尊   五百十二頁 著述
 セイキョウ貴尊  八百一頁  著述
 テッシン貴尊   七百五十頁 著述
 教主寛大     五百四十頁 著述


 未知日記総ページ数    二千六百三ページ
    
この他に伊東慈音さんの日記とか衛藤慈声さんの覚書などがきつとあるはずです。
今日現在ブログに掲載した書物は
未知日記第一巻から第四巻
光明論上巻、下巻
三世と四世論
帰途案内記
大霊界
これで丁度全体の半分の量を転記し終えました。



今、一週間前から因果論を転記し始めたのですが、著者の名はジショ、サンキョウ、インショウ、ミキョウ貴尊です。この方は日本の仙人で下界に在られた時の名前は円海大師です。衛藤慈声先生が著した「円海大師の出家」と「未知日記第三巻の喜悦の巻」「未知日記第三巻 水滴の行(円海大師の修行時代」を先ずお読みになられるとよいでしょう。この円海大師は江戸時代の土佐藩の方でした。幼小の砌、父親が何者かによって討たれ、当時の武士の規律に倣い仇討の旅にでられた。路銀を使い果たし、野に臥す生活が何年も続く。そこへある僧と出会い、貴方は敵討ちを考えて居られると喝破され、その仇を討つてそれでよいのかと懇篤に説諭される。そこで大師は仇討をやめ飄然と仏道に出家する。軈てそれにも飽き足らず山岳宗教に入り、更に行者道へと入って行かれる。この大師の一生を誰か小説化し、ドラマ化したならば、きっと多くの耳目を集め、深い感銘を与えることだろうに。誰か才能豊かな方がこの大師の一大生涯を小説化して頂きたいと真摯に冀う。そしてその資料なるものはこの書の中に数多くちりばめられている。
 やがて大師は地上における大きな天命を果たされ、天より帰れとの命を受ける。そして齢百八十超えてチベットの高山で自らの肉体を土中に埋め昇天された方です。所謂即身成仏の最終行を行ったわけです。そして貴尊はまだ肉体を持たれているとき百五十日余の断食行もなされておられます。娑婆で比叡山の行者の行う千日回峰行がテレビなどで放映され、一般からも驚嘆されておりますが、この真の行者の荒行と比較するとまるでそれらは児戯にも等しい行いなのかもしれません。  
 貴尊のお話によれば今もこの地球のあちこちの山間僻地、高山などに小一万人程の行者が修行されて居られるそうです。その仙人の方々は釈迦キリストが行った奇蹟なるものを日常的に行っているとのことです。「テツシン講録の三の巻と四の巻」をご覧になればその修行内容が詳細に説かれて居りますので是非ともお読みください。
この因果論の中に次の言葉が書かれています。それは
慈音、我に問ひて曰く、
「貴尊の言葉の意味、我等に通ぜず。文意を明らかにして以て我等に知らしめよ。然らざれば我等の心は益々迷ひを深くするにすぎず。よって文意を明らかにして説明せられんことをと。」
我、是に答えへて曰く、
「文意を平易にして是を説かば却て後世の人の笑草とならん。我、今語り居るは汝に教へんとするにあらず。此書後に至って読む人の心に必ず明るき光を与ふる事を我は承知す。依て斯くは語りしにて汝に教へ汝に知らしむる底の書にあらざることを承知しをくべし。依て文意は改めじ」と、是又慈音の乞ひを斥けたり。此書は長く後に伝はる故に後の人の手引きとなさんが為なり。汝には汝に教ゆべき事多々あり。此書に依て汝学ばずとも可なりと誡めをきて、更に説明を進むべし。


 あの難行苦行を積まれた慈音さんですら斯くの通り、貴尊から叱責されております。ましてや凡俗の私どものようなものは分からなくて当たり前なのです。でもこの書を読むことによって少しずつ垢が垢離してゆくのかもしれません。お互い頑張りましょう。
先ほどの文章に「此書は長く後に伝はる故に後の人の手引きとなさんが為なり」とありますが、時間的には百年や二百年のちっぽけな単位ではなさそうですね。千年、二千年あるいはそれ以上のタイムスパンなのかもしれません。そんな未来の人類が読む本をここで今、誰よりも先駆けて読むことができるなんて本当に素晴らしく、とても有難いことだと思います。この書こそ真に不世出の御本だと考えます。未知日記のどこかにこの一連の書籍は億兆の書籍、それを凌ぐ内容をもつとさへ書かれていたことを覚えている。
 いまこの世界に生きて居られる方の一人でも多くの方がこの書に巡り合えることを僕は深く深く祈念する。

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