覚者慈音1414  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1414
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                      2019.9.13
 第十  陰陽呂律の法則


 とかく世人の世界は余りに複雑なるが故に物の理を一に帰せしむることは至難なり。さればすべてのものを統括して理を一にせんと計るとも決してなし得るものにあらず。故にかる複雑なる世界に生れたる以上何か一つの信念なくんば到底世を安らかに渡ることを得ざるも是即ち自然が余りに範囲広き故なり。現在の世相はきはめて暗し。そは正しき信念と云ふ大切なるものを失いあるによってなり。現在日本の如く白昼も暗となりおりては其が殊更迷道にさまよふも光と云ふ大切なる信念を得ざる故ならずや。陰陽一体となり居らざるが故に按り暗へふみ迷い恰も杖を失いし盲者の如くさ迷い居るもこれ陰中の陰にして陽光の輝きあらざる故なり。明暗即ち陽陰ならずや。陰中の陰にふみ迷いて陽光を避け居りては到底再起の道は見出すこと難かるべし。恰も蝙蝠界に陥りたるに等しければなり。陰陽の調和を計らずば再起と云ふ大事業は発見すること難きは当然ならずや。これ陰陽の理を知らざるが故にかかる迷道にさまよふ。依て早く此陰陽呂律の法則より再起の道を構ぜざるべからずと我等は思ふなり。
 陰陽とは心のまなこなり。呂律とは心の耳なり。心眼心耳明らかなれば昼夜の区も従って明らかとなり、又すべての事柄も明らか聞く事を得て道は次第に明るくならん。此心眼心耳は何によって明らかに開らかるるやを深く考へ見るべし。陰陽とは光を現はし呂律は気を意味す。故に光の動きと気の動きとは常に行動を反対ならしめ居るに依てここに摩擦を生じ従って止むことなく、動は持続しあることの理は世人も既に知るところならん。されば陰陽とは呂律は常に反対のはたらきをなすことも推して知ることを得ん。陰は陽に向って進むとき律は呂に向って進み、陽は陰に向ふ時呂は律に向ひて進む関係となる。是等の理は既に説明せられあれど再びここにその事柄を現はして説明せんとす。

×

非ログインユーザーとして返信する