覚者慈音1413  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1413
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                      2019.9.13
 第十  陰陽呂律の法則


 人の個性を鑑別するには先づ陰陽呂律の区別を明らかにせざれば知ること難し。相対性なる世界に生を享けたる以上陰陽に区分せらるるは余儀なき事なり。天界に返らば陰陽の区別はあらざるなれど、そは帰りての後なり。天界より下界に生をうくるは既に大極分れて陰陽に化せられたればこそ形となりて現はれたり。その形が次第に分解せられて進化し
其が反対に縮小して又もとの大極にかへるによってはじめて順路を全うなすに至る。是も即ち順路に他ならず。是等の道理は既に世人も知り居るならん。母体に宿りし大極が別れて陰陽となり其が小陰大陰小陽大陽と次第に分解せられて、種々様々の法則に区分せられ行くに依て、ここに陰陽呂律の姿となりて進化するに至ることは世人もその理を認知なし居るならん。さればその区分せられたるものの中にはみな其々に相当する性質を有し居ることも亦理なるべし。ここに一つの例をあげて参考となさん。
 多くの人の中には手の働きに於て器用不器用の区別も見られ、又神経のはたらきに於てもみな悉く一様ならざるべし。心のはたらき等に於てもすべて同じからざる事もみな人の知るところ、これ悉くが個性の相違によって生ずる現象なる事も知ることを得ん。肉体と心との一致点を鑑別せざれば人の個性を見出すこと至難なり。されば世には手の器用なるに不拘その器用を却て厭いて他に道を択ばんとするあり。又不器用なる手に不拘、手業を好む人も少なからず。例へば手の器用なる人の中にも書画を巧みに描くもあり、或は彫刻に或は大工左官等々すべて手業に於ても其々異なりたる業あるに不拘、そのすべてに順ずるを好まず、商業につきたしとか又異りたる学問に進みたしとか考ふる人多かるべし。是等は身心一致を欠き居る故に真の個性を見出すことあたはずして誤ちたる方向に道を求めんとなし居るにすぎず。故に指導者は此肉体の程度と頭脳の力を測定してその一致点を鑑別し、其によつて種々様々の中より適当なるものを択びて彼を導かば必らず成功は疑いなきなり。此一致点を見出すには陰陽呂律の法則を会得するにあらざれば発見することは至難なり。依て陰陽呂律の事柄を先づきはめて其によって道を択ばば却て鑑別は容易になし得る事を得るなり。

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