覚者慈音1412  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1412
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                       2019.9.12
 第九  人々の個性について


 女子は子を宿して胎教せず、常に己が心の欲するがままに悪き行いをなす。されど長ずるに従いて世相より受くる印象によって善悪の区を明らむるに至って己が行いの正からざるを知るに依て最後に悔い改むれば即ち善化せらるる人あることも世人は知るならん。大悪変じて大善となるの例は是なり。是を因果の法則と云ふにて母の胎内にては善因なりしも、胎教と云ふ経路によって悪果せられその悪果が世に出でて尚その経路を辿りあるうち世相の善と云ふ肥料が吸収せられ、ここに善悪の争闘が持続し悪は次第に減退して遂には善果する結果をもたらすに至る。是経路因果の法則に合ふなり。されば母の胎内に宿りし善因が最後に至って善果をもたらしたるにて即ち善因善果の法に合ふ。是を経路より見る時は生れた悪者になり居るは経路の善因悪果となり、又その悪果が最後に善果になると解釈するは是中途より観察なしたる故に善因悪果悪因善果と見なすことを得るなり。人の個性にはみな其々天より授けられたる使命ありてこれを鑑別するには、先づ今迄説き来りたる事柄をよくよく認識なさざればその個性を発見することは至難なり。故にいささか枝葉にわたりたる感あれど、最初より此事柄をわきまへあらざれば個性と云ふ難かしきものを鑑別することの至難なる故に、かくは語りし次第なればよくよく意を用いて此理を深く知りをくの要あるなり。大凡頑固一徹とか或は頑なりとか優柔不断なりとかを個性として考ふる人の多きは、是みな中途因果の事柄に思いを致して推理するが故に、真の個性を知る事を得ざるなりと思いて是等を個性として取り扱ふことなきやぅ注意す。

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