覚者慈音1411  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1411
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                     2019.9.12
 第九  人々の個性について


 頑固一徹の人或は優柔不断の人と云ふも皆心の動きを云ふなり。心は無形の中の有形なり。然りとせば無形の中の中にも有無の関係あり。是を深く追究なし行けば限度なく続くならん。是を極致に至らしむるには有無の関係なき無の境地に迄到達せざれば真をきはむるは難き事も推して知ることを得ん。我師、我に教へて曰く、「汝の肉体は如何に強くとももし汝の肉体を懇望する者あらば可否を論ぜずして奪い去るものもあらん。されど汝の持てる心を如何なるものより懇望さるるとも与ふる事は難く又奪ふことも難かるべし。汝此理を知るならば其にて汝の行は成就したるなり」と仰せられしことを我は今に至って感謝なし居るなり。世人は此理を知ることを得るや。頑なる心是を他より奪ふものはあらざるべし。然りとせば何によりて是を変ぜしむることを得るやを研究せば自づと道は開らかるるなり。剣は人体を切りさいなむることを得れど心を切る剣はあらざるならん。されどこれを自由に変ぜしむる力あるものは他になかるべからず。其は何によるかを深く考慮し見ば察することを得ん。
 元来人根は正にして曲にあらず。人根より曲れる悪者ありとせばそは人にあらずして畜類なるべし。悪者と称せらるる人も己自らを愛するが故に悪を企つるなり。然りとせば愛すと云ふ心こそ即ち善なるべし。世人はこの理をよくよく思惟翫味して深く根底より観察せば原因結果の理も亦明らかとならん。所謂悪者も根底より悪にあらず。善を知るが故に悪を秘す。これ外善内悪に他ならず。俗言に外面女菩薩内心女夜叉と語り居るも即ち是なり。 内に悪を秘めて外に善を装ふ。然りとせば内心にも善の心あるによって外に現はし居るならずや。己自らを愛するが故にこそ悪を行ふ。此理より深く考慮せばすべての人は善悪共に自然に具備ある事の理も推して知ることを得ん。悪逆非道の人、善行正道の人は是一方的にして斯るものは世に存しあらずと云ふも過言にはあらざるなり。善あるが故に悪は生じ悪あるが故に善は現はる。善悪これ一如ならん。さればこそ世にはすぐれたる人劣りたる人の区はあるなり。善を多く行ふ人は善に順じ悪を多く行ふ人は悪に順ずと云ふなり。善人も我なり。悪人も又我なり。善魔も我なり。悪魔も我なり。地には毒草あり、又薬草もあるに等し。是あるが故に頑固一徹なる人優柔不断なる人或は頑なる人等々世に現はれあるもこれ自然の法則より現はれたるものにて、人の修養とは是をよく鑑別して是正するにあらざれば真の修養とは云い難し。故に是等の中よりよきものをたづね求めて其々に区分なすにあらざれば真の個性を知ることを得ざるも亦理なるべし。

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