覚者慈音1410  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一     インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1410
未知日記 第九巻 因果論       
第一の巻
人身篇一 
         インショウ、ミキョウ貴尊 講述                           2019.9.11
 第九  人々の個性について


 即ち頑固なる人はその体験のよき種子の養分を雑草に吸収されて繁茂せしめ居ると見なせば可なり。故にその雑草をぬきとりて是を肥料としてその体験の種子に与ふれば結果は完全となりて正しき稔りを得ることは当然なるべし。理は一言にて現はせばかくの如し。されど此雑草の生ずる理由を明らかに認識せずば、ぬきとる事の至難なるは云ふ迄もなし。身心の平衡を欠き居るによつて此雑草は生じ来りたるなり。身心の平衡とは常に両者共に清除するにあり。身心を清除すとは気波光波を分解して如何なる場合に於ても種子を下せば芽を出さしむる準備をなし居る事を計るにありと知らば可なり。気波光波を常に分解なし居らば他より入り来る事柄に対して直ちにその事柄に相当する組織に変ずることを行ふによりてなり。即ち一個の細胞と雖も動じある以上気波光波の力に依てはたらきはありと見なすならば其は云ふ迄もなく音なるべし。一個の細胞にも音を有すと知るならば一個の気素一個の光素にも亦同様の関係あることは論を要せず。されば常に気波光波をすべての細胞に迄通はしめて平静を保ち居らば事に処して忽ち解決の道は開らかかるる力ある事も亦異論の余地なし。すべては音なり。音によってすべてを知る。言葉なき世界と雖も音はあるなり。その音の如何を聞きわけて其に順じて行動なすを以て神の世界は安全なりと教へ居ることをよくよく考慮して認識せざるべからず。正しき音を聞く力なくんば神の声を聞く事難し。音は因なり。因は音に通ず。此理より推理せば無形の中にも有形と無形の二種含まれある事を知らざるべからず。言葉は音と云ふ因ありて実を結びたる現はれなり。然りとせば音は種子にして言葉は稔りなりとの結論に達す。これ無形の中の有形なることを知りたるならん。論理は如何にむづかしくともうまずたゆまず理をきはめて更に工夫に工夫を重ねずば極妙の地点に到達することは困難なり。話はいささか枝葉に渉りたり。依てもとに復すべし。

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