覚者慈音130   大霊界  大霊界とは如何なる場所をいうか   教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の弐                         NO87
      
    大霊界とは如何なる場所か   その3
                                                                          教主寛大 講述


 一つの円周を紙に描くと同様にして、描き終らばその円周が何れがはじまりにて、何れが終りなるやは判明し難からん。継目のなき円管は何れよりはじまり、何れにて終りたりやと示めさるれば、判明し難きと同様なるべし。されど是等に於ても終始の定まりあるによって作られたるなり。此理より考察すれば、今宇宙と雖も何かそこに原因なかるべからず。空の空なるが故に、実は現はるると云ふ組織に対して、空を一枚の紙と見なし、其に描かれた円周を実なりと見なして工夫する時、その空に対して円周を現はしたるものは誰ぞとの疑問を起して考察せば、全宇宙の造り主は神にして、是に円周を描きたるものも亦、神なりと語るの他なかるべし。故に空もあり、実もある以上、神と云ふもののありと云ふとも、こじつけなりとして一笑に附することはなし難し。空と云ふも言葉なり。円周と云ふも言葉なり。神と云ふも言葉なり。所謂符号にすぎず。唯是等三者を区別せんがための符号なればなり。故に我等は神ありや訊かれなば、有りとも無とも答へざるなり。されど符号としては神と云ふも差支なからん。又その神と云ふ符号を他のものにかゆるとも、其は符号にすぎざるべし。唯符号によって区別なしたるにすぎず。汝等諸子は符号を多く知りて、種々様々名文とか美文とか称し居れど、是等を知りたりとて学者にも智者にもあらざるなり。一冊の辞引を手にして我は大学者なりと云ふに等し。辞引は符号を集めたるにすぎざるなり。さればこそ国々によって言葉にも相違あり。文字亦然あるならん。符号を用いずしてすべての事を知らしめ、すべての事を悟らしむるにあらざれば、広大無辺の宇宙全宇宙のすべてを明らむることは難し。故に言葉なき言葉にあらざれば、正しき教へを全界に伝ふることあたはず。されば無言詞の大切なる事は是によりても知らるるならん。
 無言詞界とは恰も唖の世界とも見らるるならん。この事柄より無言詞界とは、即ち気によって伝ふる世界を指すなり。何かは知らず気にかかると云ふ言葉は、諸子の口より発せられ居るにてはあらざるか。是無言詞の伝はりなり。テッシン。セイキョウは気にかかる事は早く追究して、是をさとりて清浄せよと教へ居るなり。気にかかる事は無言詞の伝はりにして無言詞の教へは、粗略になすこと勿れと云ふ意味より、斯くは教へしなり。気熟し来らば是が次第に事実となりてあらはる。されば無言詞界のはたらく力のそなはりが、汝等諸子の肉体にある以上、未来を推知する事難きにはあらざるなり。無言詞界あればこそ、汝等の智慧は増大もし、且つ減小もするなり。その増減変化はすべて無言詞界によると見なして可ならん。汝等諸子の肉体は、未来に行くべきところは既に定まりあることも、推して知る事を得る、便を有し居るにてはあらざるか。この点に着目せば今後汝等世界の、如何に変化なしゆくかは明白に察する事を得るなり。今や慈音は或段階を終へて、
更に新しき任務に服さんとなし居るに対して、彼の肉体は是に堪ゆる力衰へて危き境涯にをかれたり。さればこそ彼は己が肉体に対して、その任務に堪ゆる程度迄、肉体を保護せんとして肉体に対して自由を与へ居るなり。一度あやまてば肉体は破滅す。

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