覚者慈音1354 未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の四 最終の巻 セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1354
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
               セイキョウ貴尊 講述                     2019.8.22


 黒色人の云ふ如く鉄の働く力が金銀よりもはるかに勝るものとして尊ぶ事もあらん。又通貨として金銀の不必要とならば、斯るものの価値はあらざるべし。我の云はんとする処は是等の事を語るにあらず。即ち其以上の事を語らんとなすなり。金にも銀にも鉄にも定まれる其々の分度あらん。鉄の多きは其だけ人間の生活に必要なるが故なり。金銀に於ても皆其々の分度に応じて現はされ居ると考ふる時、ここに又新らしき真理が発見さるるにてはあらざるか。金銀鉄すべて価値を有す。其価値は誰が定めしか。所謂人間なるべし。然りとせば黄色白色黒色人種に対して、果して神は其ものの価値を定められしかに思ひを致さざるべからず。黄色白色黒色人種に神が価値を与へたりと考ふる人あらば、其は大なる過誤なり。神は決して斯る事を好まざる故なり。神が与られしは分度にして価値にあらず。価値を定めたるは今も語りし自慢噺の其の如く、自らが自らの価値を定め居るが故に、ここに大なる間違ひを生じ為に覚る事を得ざるなり。聊か難解しき表現法(いひまわし)なれどよくよく此論説を考究して聞かれんことを望む。汝等は己自らに価値を与へ居りて、其を神より与へられたる如く考ふるによって、ここに行き詰りを生じ、覚りの門は開らかれざるなり。宗教者は云ふ。黄色人種に孔子あり、白色人種にイエスあり、黒色人種に釈迦のあるにてはあらざるか。然りとせばその優劣は論ずるに足らずと語り居るを我等は聞きたり。五色の土の伝説の真理はここにあるなり。依て是より語るところを深く深く考慮して聴れんこと。
 是等の事柄を統括して考ふる時人の優劣は人種、形の如何を論ずるにあらずして尊ぶべきものは、智慧の程度によってなるべし。智慧は人種の如何を問はず、皆其々の分野に応じて与へられたてるものなれば、外形とか或は形によつて計ることは難からん。然しながら人種によって彼是批判するところは智慧のみにもあらざるべし。所謂自然にそなはる品位と云ふものに対して考究せざるべからず。我等の言はんとするところはここにあるなり。世人のよく云ふ品位高き人とか、或は見すぼらしき人とか云ふことは、人種にもあらず智慧にもあらず、唯一見して己が心に感じ来る一種の魅力なるべし。愚者にも品位高く感ぜられる人と、賢者に於ても卑しく感ぜらるる人との区別あらん。是等は何によつてかかる相違のあるやに対して世人は如何に考ふるや。悪魔はこの理を知るによって種々様々法力を用いて其品位を作り、人心を惑はすこと多し。是を変化の法と云ふ。神通力を得て変化自在となるならば、是等の事はなし得らるるなり。

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