覚者慈音1353 未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の四 最終の巻 セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1353
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
               セイキョウ貴尊 講述                     2019.8.22


 所謂形を有するものには其々の方法によって、形を変化なすことは得れど、形なき魂は自然の力によって発育なすと雖も、形なければ是を変化せしむること難し。是は自然を形の如く思ひて変化せしめんとすることの錯誤を犯させざるやぅ注意なしたるなり。即ち形あるものは自然によって変化なすことを得れど、自然を曲ぐる事は難きことを教へたるなり。魂とは即ち自然なり。形ある肉体はその自然によって作られたるものなれば、自然の力すぐれ行かば形は如何にとも変ぜらるる故なり。形を変ぜしめんとせば自然の力によらざるべからず。自然の力とは何かを考ふれば、魂が有する智慧を措いて他にはあらざるならん。自然を知るものは魂なり。魂とは自然より受けたる智慧ならでは知ること難し。斯く考ふれば魂は智慧か。智慧が魂かに迷ふならん。所謂智慧を入るる器の如く考ふる人もあらん。かく考ふれば智慧は魂によって保持せらるるものならば魂と云ふものには限度あり。魂ならば死滅するは当然なりとの考へを持つ人もあらん。是等の処迄追究して考案するにあらざれば、霊魂不滅の理は究むること難し。この理を究めずば二流界の話を如何に語るとも世人に理解は困難なり。故に聊かむづかしき論説なれど暫時耳を籍されんことを。 
 五色の土の伝説より考ふる時、仮にここに三人の異なれる人ありと見なして、一人は白色一人は黄色一人は黒色人として彼等の自慢噺を聞けば、白色人種は云ふ。「我等は白色人種なるが故に人類として最も尊し」と語る対して黄色人曰く、「白色人種が左程尊きか。されば問ふべし。汝の国にては金と銀と何れが尊きや。即ち銀は金の価値はなかるべし。然りとせば白色より黄色が勝るにてはあらざるか。故に我等黄色人種は白色よりも尊し」。是に対して黒色人種曰く、「汝等両人彼是論ずれど汝等の世界にもし鉄と云ふ尊きものなくんば、金銀のみにては何等用を便ずることあたはざるべし。用途きはめて広き鉄ありてこそ、金銀はもてはやされて尊き如く感ぜられるのみて、もし鉄の少なかりせば汝等の生存はなりがたからん。その汝等を育て居るは所謂黒色人種の力なるべし。然りとせば黒色人種の我等は尊し」と。かく語らば皆其々に一理を有し居るにてはあらざるか。鉄のはたらきの力は金銀の比にあらざるべし。されば金銀の尊しとする処は那辺にあるや。世人の世界には少なきものを珍らしとして其を尊ぶ習慣より、種々様々の間違ひを生じ居ることは敢て珍らしとはせざるなり。石炭を燃ゆる石なりとして是を宝の如く貯蔵し居たる事さへありし昔語を聞かば世人は苦笑する他なからん。されど事実かかることのありし事は世人も承知なし居るならん。石炭を珍重して宝庫に収納をくなど、現在の人ならば笑ふならんも、その昔は珍らしかりし故なり。もし現在において金銀が鉄の如く多きものならば、是を通貨として或は装飾品として珍重することはなさざるべし。斯く考ふる時若し其鉄が極めて少なきものなりせば、世人は如何に考ふるや。

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