学生時代の思い出 参


 翌朝十時頃、空を飛来する何機ものヘリコプターの騒音で眼が覚めた。当時はみんな貧しく住人は誰一人としてテレビなど持って居なかった。しかし唯一の情報源である僕のラジオはだいぶ以前に質屋に預けてあって、勿論新聞なども見ず、何ひとつ世の中の動きなど知らなかった。その日はアルバイト学生に僅かのボーナスが支払われる日で、楽しみにして府中市にある会社に行ったところ、東芝の人に言われた。
「お前、知らんのか。今日、どでっかい事件があってお前のボーナスも全部盗まれた。だから今日は俺達全員なにもなしだ」と。その工場で僕は深夜十二時まで新幹線の部品生産のお手伝いをしていた。
 あの有名な三億円事件である。とてもあてにしていた金だつただけに僕はがっかりした。それから何日かして風邪をひいてしまい、熱を出し洗濯盥に水をはり手ぬぐいを数枚つけて交互に頭を冷やした。そして一日中布団にくるまって寝ていた。眼を覚ますと見知らぬ男二人が部屋にどつかと座っている。僕はビツクリして「あんたらは誰だ」と誰何した。すると「黙って部屋に入ってわるかったな。だけどさっき大きな声で君を何度も呼んだけど、君はイビキをかいてぐつすり眠っていた」と云いながら黒革の手帳を見せる。
「君は東京に出てきて何年になる。今回は折角のボーナスをとられて大変だったなあ。ところで君はバイクの免許を持っているそうだが、バイクは面白いかね?」と愛想よく話す。片方のジャンパー姿の男は遺留品であるハンチング帽など数点をひろげて、これこれに見覚えはないかと聞き質す。そしてそれらの遺留品の出所が、僕の住んでいる国分寺近くですべて購入されていることなども付け加えた。それから彼是三十分以上いて、田舎の事、家族のこと、交友関係、それに学校のことなどを細かく聞いて手帳にメモして帰っていった。
  その日から道を歩くにも、絶えず尾行されているのじゃないかと後方が気になり、よく後ろを振り向いた。丁度罪と罰のラスコーリニコフの心境だ。大家さんの処にも刑事が来て、僕のことを細かく聞いていったそうだ。また下宿の何人かの友人も、刑事が来てお前の普段の生活のことを聞いていったぞと云っていた。
 冬休みに帰省して、暫くしてから犯人のモンタージュ写真がテレビで公開された。それを見た時、ああ、俺に似ていると本当に思った。友達に尋ねると「そうだ、お前に似たところがある」とも云った。あの時の何百か、何千人かの容疑者リストのなかには僕の名前も挙がっていたのだろう。真犯人は生きて居ればもう七十はとっくに過ぎている。大金は持ってはいたとしても。いつもビクビクして、心休まる日はなかったに違いない。きつと淋しい人生を送ったことだろうな。いや、それだけじゃない。今からが始まりだ。来世もその次の世も無窮永劫にその苦みが続く。なあ神様に救ってもらいなよ。今心から悔いあらためて、真剣に真剣に神に魂の救済を祈ることだ。それしか君が救われる方法はない。

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