学生時代の思い出 弐


 大家は大の愛鳥家(??)でニワトリを十羽ばかり飼っていた。早朝の五時には一斉にときの声を告げる。あまりにやかましいものだから、誰かが新聞紙に火をつけて小屋に投げ入れ、鳥をすべて逃がした。大家はカンカンに怒り、下宿人を全員叩き起こし、早朝の町を探す事を命じた。見つかったのは三羽ぐらいだったように覚えている。
 当時、田舎から米が送られてくると、深夜多くの者が一つの部屋に集まり、飯を炊く。それを塩で握り、みんなでほおばる。フザケタ奴が居て、「あら、おにぎりを握ったら僕の手、こんなに白くキレイになってしまった。みなさん、塩加減の方は如何 ?」と
貧しい仲間同士が相集まり、とんでもない闇なべも喰ったことがある。考案者は前述の津山市の美男子だ。でもたえず腹を空かせていた頃のその味が今は懐かしい。僕はその味を復元するために当時使った食材をかき集め、僕が作りそれを家族のものに食べさせてみた。結果は不評であった。「お父さん、いくらお腹が空いていたとしても、よくそんなものを食べていたわね。」と妻が言う。僕もその通りだと思った。
僕はその頃、一人旅に凝っていて、軍資金を溜めるためにバイトに良く行っていた。場所は府中の刑務所の近くの東芝府中工場だ。そこで新幹線の車体の加工の手伝いをしていた。二か月余り、夕方五時から深夜零時まで働いた。当時は深夜も休まず工場内は煌々と灯りがともり多くの人達が残業をしていた。その頃は将に日本の産業が復活の狼煙をあげていたときであつた。

×

非ログインユーザーとして返信する